2009年01月09日

仕事とブログ、そして2009年

前回のエントリではかなり愚痴ってしまった。新年会で日本酒を飲みすぎたせいかもしれません。すいませんでした。さて、今日は上司との面談をしました。前回のエントリで触れた面談シートをベースに2008年下期の成果の確認と、2009年上期の目標のすり合わせをします。異動希望についても正直に思っていることを伝えました。上司に私が思っていることが正しく伝わったかどうかは微妙ですが、きっと私の願いはかなわないなという印象を受けました。我慢の日々はしばらく続きそうです。でも、これは想定範囲内だから残念に思うこともありません。

さて、2009年の目標はいろいろ設定しました。「具体性がない」という指摘を上司から受けたのですが、部署の今年のビジョンが明確になっていないので書きようがありません。かなりぼやけた表現で、現在のビジネスの課題と解決策を書くにとどまりました。そのおかげで「具体性がない」という指摘になったわけですが。具体的に書いてしまうと、私が想定していた部署のミッションと食い違ったりすると、最終的には目標に達しなかったというマイナスの評価になってしまいます。サラリーマンであれば、そのような給料を下げることにつながる行為は避けたいところです。

まあ、私がどの部署でどんな仕事していようと、Webでのビジネスに関わっていることは間違いありません。なので、このブログでも引き続き、Webビジネスについて気が付いたことを書き綴っていきたいと思います。

とりあえず、2009年はスマートフォンを中心としたモバイルサービスが進化すると思います。Androidケータイも登場するだろうから、モバイル機器での情報処理環境がかなり変化します。未来の歴史家は、「2009年は携帯電話によるポストパソコンの時代が到来した年」と説明するかもしれません。iPhoneやWindows Mobile、Androidケータイで展開できる新しいWebビジネスでも考えてみようと思います。そのために、私の手元には、iPhoneとiPod Touch、W-ZERO3があるのだから。今年はAndroidケータイも入手していろいろ試してみたいと思います。

それにしても、iPhoneとiTunesの組み合わせはいいですね。やはり普及するサービスを立ち上げようと思ったら、これくらい物事の仕組みを作り上げることが大事なのですね。今のところ最高のパーソナル機器である携帯電話。これがソーシャルメディアとつながることで新しいビジネスが見えてきそうな気がします。

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2009年01月08日

2008年下半期の仕事を振り返った(愚痴です。有益な情報はありません)

今回は完全な日記です。いつものブログとは異なります。ご了承ください。

私が勤めている会社では1年に2回、評価面談があります。今はその面談で使う資料を作成しています。2008年の下半期にどのような仕事をやり、どのような成果があったのかをまとめています。これが最終的には私の評価になり、給料やボーナスの額面が決まります。このご時勢では給料が上がるのは期待できません。ぶっちゃけ、これだけ仕事をしたのだから給料を下げないでね、または、給料の下げ幅は最小限にしてね、ということを言えるようにするための資料を作成しているわけです。

で、2008年下半期の仕事を振り返っていました。2008年の後半は忙しく、大量の仕事をこなしました。でも、充実感はありません。むしろ、よくこんなにもやりたくない仕事をやったなあ、って感じです。自分の将来に危機感を抱いてしまいます。自分はこのまま仕事を続けていいのだろうかと。

まあ、このご時勢だから、仕事があるだけでも幸せだと思います。やりたくない仕事を・・・なんて、かなり贅沢な悩みだと思います。でも、この気持ちをどこかに残しておきたくて、今日のブログとなりました。今思うと、このブログは日々の仕事で得られない充足感を得るためにやっているのかもしれません。2008年下半期は忙しかったですが、ブログだけは続けることができました。きっと自分の満たされないものをブログで満たしたかったのでしょう。だけど、ブログで満たされることはありません。ブログをやっているためにフラストレーションがたまってしまうこともあります。なぜ、ここで書いているようなことをリアルの仕事に活かせないのかと。

ここまで読んでくださった方には感謝します。今回は思い切り愚痴でしたね。仕事を振り返ったことで将来の不安を感じてしまっただけです。それ以上でもそれ以下でもありません。私は1日のほとんどを仕事に費やします。仕事が楽しくないと1日が楽しくなくなります。せっかくの1日だからできるだけ楽しく過ごしたいじゃないですか。

面談シートには異動希望を申告する欄があります。前回も申告したのですが、今回も同じ希望を出そうと思います。異動だけが解決手段とは思いません。今は我慢のときなのだと思います。我慢というとネガティブな感じですが、きっと来るであろう、もしかしたらすでに来ていたのかもしれないチャンスを逃さないために感覚を磨き、将来発揮するであろう力を充電する期間なのかもしれません。

さあ、がんばろう。
タグ:仕事


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2009年01月06日

2009年は何をしようか、何をやめようか

1月5日の月曜日から仕事始めの人は多かったと思います。私もそうでした。年初で月初で1週間の始まりという重なりで、見事に忙しい一日を過ごしてしまいました。すでに午前中で正月気分は吹っ飛び、普段通りの仕事をしていました。今年初めて会う人やメールを出す人には、「明けましておめでとうございます」と挨拶をしようと思っていたのですが、それすら忘れていました。なんかすでに1月が終わったような気さえします。

さて、この年末年始休暇の間はパソコンを触らずに過ごしました。1月1日にブログを更新していますが、これは年末に用意しておいた原稿を自動で公開したものです。おかげさまで、メールや購読しているブログの未読がたまりにたまりました。今日1日だけでは処理できないくらいです。

仕事のメールはなんとかこなしましたが、問題はブログの未読です。世の中のブロガーは年末年始でもたくさんの記事を公開していることが分かりました。私はここまでできないなあと思いつつ、投稿されている記事のタイトルを眺めていると、2009年の抱負について書いているエントリが多いように思いました。年初なので当然といえば当然ですね。私も2009年にやることを公開しようかなと思ったのですが、まだまとまっていません。

やりたいことはいくつもあるのだけど、それをやるには時間が必要になります。毎日の仕事をこなしながら他のことをするには、それなりの覚悟が必要です。私にその覚悟がないといわれればそれまでなのですが、睡眠時間や家族と一緒にいられる時間を削ってまで実行しようとは思いません。これは私のプライオリティの問題です。

とはいえ、年初には「何か新しいことを始めたい病」を発病してしまいます。昨年はブログを始めるというのを決意しました。おかげさまで、たくさんの人の応援もあり、今でも楽しく続けさせていただいています。昨年は新しくブログを始めるにあたり、やめてしまったものや活動頻度を大幅に減らしたものがあります。今年も何か新しいことを始めるのなら、これまでやっていたことをやめれば新しいことをやる時間を取れるのかなとも思っています。

実は、やめられるものがなくて困っているところなのです。ブログはもちろん続けたい。本だってもっと読みたいし。うーん、困った。仕事をやめる?。それは生活が苦しくなるから困ります。

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2009年01月01日

がんばれインターネット

新年明けましておめでとうございます。
今年も本ブログをよろしくお願い申し上げます。

2008年は米国発の世界恐慌により、多くの企業が苦しい局面となりました。日本国内では自動車産業を中心に派遣社員の契約を大量に切るなど大きな社会問題になりました。個人的にはホンダがF1を休止ではなく撤退の道を選ばざるをえなかったことが悔やまれます。他にも、ソニーの8000人の人員整理や内定取り消し問題など、2008年後半に一気に暗い話題ばかりになったため、1年を通して暗いことばかりという印象になってしまいました。世界恐慌の発端となった米国でも、GMなどビッグスリーが倒産しかねない状況に追い込まれ、インターネット業界も利益を出している会社は多いのだけど、レイオフの嵐が吹き荒れました。

2009年は明るい年になるといいなと思うのですが、V字回復することは難しいような気がしています。このエントリは年始の挨拶のつもりなのですが、なかなか明るく書けないですね。それくらい世界全体が悪いということです。

さて、2008年はSNSなどソーシャルメディアが大きな力を持つようになりました。これは、インターネットが単にハードウエアをつなげるコンピュータネットワークではなく、コンピュータを使う人間をつなげるアプリケーションになったことを意味します。インターネットが使われ始めた1995年(Windows 95が発売された年ですね)は、インターネットにパソコンをつなげることが話題の中心でした。インターネットに接続するためのプロバイダ選びなどをエンドユーザーが調べて、料金を比較してといったことに力を注いでいました。これはインターネットがコンピュータネットワークのインフラだったからです。

現在はどうでしょうか。光を使うかどうかでエンドユーザーが気を使うところがありますが、それ以外はどのようにインターネットとつなげようか考えることはないと思います。インターネットに常時接続できることを前提に、メールのやり取りや動画の視聴、オンラインショッピング、コミュニケーションなどを楽しんでいると思います。

インターネットの利用技術はまだ完成したと言えません。2009年はきっとあっと驚くサービスが登場するのではないでしょうか。なんだかんだ言っても人類はインターネットを楽しいもの、役に立つものと認識している人がほとんどだと思います。その思いがインターネットをより楽しいものにできるはずです。がんばろうインターネット。

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2008年12月23日

クリスマスを感じるとき

2008年も残り少なくなってきた。目の前にはクリスマス本番が迫っている。小売業では11月の末、早いところでは10月末のハロウィーンが終わったらクリスマスの飾りつけを始めている。最長2ヶ月の期間を経て本番のクリスマスを迎えるわけだが、最大限に盛り上がっていなければならないところ、自分の中でどうもしっくりと来ないのだ。クリスマス気分になれない。

もちろん、日本ではクリスマスは休日ではないし、今年はクリスマスイブの24日とクリスマスの25日はどちらも平日である。私のようなサラリーマンはいつものように仕事をするだけだ。帰宅時間が早くなるわけではないので、いつも通り、帰宅したら子供は寝ているだろうし、妻も寝る直前だろう。そんないつもと変わらないことしかしないから盛り上がりに欠けるのだろうか。バブル真っ最中だったころは、クリスマスは恋人と夜を過ごさなければならないという決まりがあり、実現できなかったものは「寂しいヤツ」というレッテルを貼られた。最近はどうだろうか、バブル期ほどがっついた感じはしないが、実のところはどうだろうか。

さて、我が家にとってのクリスマス最大のイベントは、子供へのクリスマスプレゼントである。まだサンタクロースを信じている(と思う)ので、クリスマスプレゼントは子供が寝静まったところで枕元にそっと置く。伝統的なプレゼントの渡し方を今年もやる予定だ。この方式で大変なのは、子供が欲しがっているものを調査すること。子供と一緒におもちゃを買いに行けるわけではないので、事前に聞いておかないと欲しがっているものをあげられなくなる。また、子供抜きでプレゼントを購入するという技も出さなければならない。

今年だけではないが、私は今年も直前になってもクリスマス気分になれない。子供のころはクリスマスを楽しんでいたような気がする。大人になるとクリスマスはどうでもいいことになってしまうのだろうか。
タグ:クリスマス


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2008年12月04日

忘年会の季節だから、リアルに人と会っておきたい

12月に入り、忘年会の季節となりました。12月は仕事よりも飲んでいる時間の方が長い人もいることでしょう。私はそこまでではありませんが、週に2回くらいのペースで忘年会が入っています。今日も以前所属していた職場の人が集まった忘年会でした。

みんな社内にはいるのだけれど、部署がなくなってしまったので、なかなか集まる機会がありません。もちろん社内ですれ違えば挨拶はしますが、お互い仕事をかかえているので、立ち話もなかなかできません。忘年会はそんな関係の人たちでゆっくりと会話ができるわけです。

デジタルネイティブ世代であれば、重要なつながりだったら、SNSでつながっていればいいんじゃないのだとか、チャットだったら普段から会話ができるんじゃないのとか、まめにメールを出せばいいじゃないなどと思うかもしれない。確かにその指摘は正しいと思います。でも、それだけじゃだめなんです。今ではビデオチャットもやろうと思えばできます。直接会わなくても相手の顔色を伺うことはできます。でも、それって結局はパソコンの前の顔しか見せてないような気がするんです。相手の気持ちを理解できるただろうか、自分がどのようなことを思っているのか知ってもらえただろうか。そんな不安があります。もちろん、そんな不安を持つのは、私がデジタル移民だからかもしれません。世代の差といえばそれまでなのかもしれません。

人を理解するためには大量の情報が必要です。その情報は相手が話してくれることもありますが、相手が話しにくいことは話してくれません。必要であればこちらから聞かなければなりません。SNSは自分が知らせたいことを知らせる場所だと思います。言ってみれば、自分が自分として認識している自分をさらけだすだけなのじゃないかと。自分の本性みたいなものをさらけだしている人は少ないでしょう。

人と仲良くなるということは、誤解を恐れずに言い切ってしまえば、相手の本性を知ることなんじゃないかと思います。そのような本性は、リアルでなされる会話や動作、表情、誰かの発言に対する反応などを総合的に分析することで知ることができると思います。難しく書いてしまいましたが、人を知るには人を観察するところから始めなければならないということです。

お酒の席というのは、よく考えれば不思議な空間です。お酒の力を借りて、みんな饒舌になる。本性とまではいかないけれど、それに近いものを出して話をしたり、行動したりしている。やっぱりお酒って人と仲良くなる効果があるのかなと思ってしまいます。

さて、長々と書きましたが、忘年会という人の集まりは、人を観察するのにいい機会なんじゃないかと思うわけです。なので、「お酒ばっかり飲んで、しょうがないわね」などと言われても、「インターネット時代だからこそ、人と会うこと自体が貴重な体験になる。仕事は一人でできない。だったら、仕事相手と仲良くなるのはいいことだろ」と言い訳をしてもいいのではないかと思うのです。実はこれが言いたかっただけだったりして(笑)。

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2008年11月26日

世界はフラットになりつつあるが、日本人には言葉の壁がある

「デジタルネイティブ」というNHKの番組で感じたこともあって、今さらながら「フラット化する世界」を読んでいる。NHKスペシャル「デジタルネイティブ」では、インターネット、特にSNSを活用して世界中とつながり、コラボレートする姿が報道された。これを見て、「フラット化する世界じゃん」とテレビに突っ込みを入れたのは、私だけではないだろう。

デジタルネイティブは特別な存在ではない」というエントリでも触れたが、世界がフラットかする流れは必然なのだろう。ということで、まだ読んでいなかった本「フラット化する世界 [増補改訂版] (上)」を入手して、漠然としたイメージしか持っていなかった"フラット化する世界"について調べてみた。まだ、上巻の半分くらいしか読んでいないので、結論を出すのは早いのだが、ここまでで感じたことを記録しておこうと思う。

本書では、インターネットの登場により、米国の仕事がインドにアウトソースされる例などを紹介していた。通信インフラが整うことで、地理的な壁を取っ払い、生産性(投資効果)が高い場所の人に仕事を依頼できるようになった。おおざっぱに言うと、フラット化とはこのようなイメージだ。少なくとも私が読んだ範囲では。

さて、地理的な壁を取っ払うことには何も問題ないし、米国内で処理していた仕事をアウトソースすることについても何も問題ない。ただ、このような環境を構築できたのは、世界の標準語が英語だからできたのではないかと感じた。同様な環境を日本で構築できるだろうか。自分の仕事をインドや中国にアウトソースできるのだろうか。中国の大連では日本企業から依頼されたデータ入力作業を行う人がたくさんいると聞いている。大連には日本語を話せる人も多くいるそうだ。

しかし、日本語でやりとりできるところはこれから増えるのだろうか。どう考えても、英語圏から依頼される仕事と、日本語で依頼される仕事では、英語圏の仕事の方が多いだろう。だとすると、これからアウトソーシングの案件が増え続けると、日本語よりも英語の案件を優先するようになるのではないだろうか。インドや中国の人口が多いといっても限りがある。インドや中国で人の手当てが難しくなったとき、日本向けのアウトソーシング案件は破綻してしまうのではないか、日本のビジネスが回らなくなってしまうのではないかと思ってしまう。

結局、日本は言葉の壁に阻まれてフラット化する世界のメリットを享受できないのではないかと思ってしまった。NHKスペシャル「デジタルネイティブ」に登場した日本人も、やはり英語でコミュニケーションができる人だった。距離の壁はインターネットで解決できたかもしれない、しかし、言葉の壁はまだある。グーグルなどは世界中の知恵を整理することがミッションなので、翻訳機能を提供してはいるが、言葉の壁を取っ払うまでは機能していない。言葉の壁を破壊しない限り、本当のフラット化する世界はやってこないと思う。

結局、自分が英語でコミュニケーションできるようになれば問題ないんだけどね。少しずつ頑張ってはいますが、なかなか上達しないですね。「フラット化する世界」の下巻を読み終わったら、また感想をアップします。

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2008年11月19日

生存証明−ライフログってことかな

最近仕事が忙しいのでつらいと感じることがある。生きているのかどうかもよく分からなくなっていて、たんたんと機械のように仕事をしている。もともと感情豊かに仕事をするたちではないので、いいといえばいいのだが、悪いといえば悪いのである。

ということで、いつ死んでもおかしくないかもしれないと思ったので、自分が生存していることをどのように証明すればいいのか考えてみた。

家庭や仕事などリアルに会っている人たちには、物理的(医学的)に証明できるので問題はない。見れば分かるだろう。

困ったのはSNSでつながっている人たちにどう伝えるのかだ。もちろん、SNSでつながっている人の中には普段から顔を合わせている人がいるので、きっとその人はSNSの中で、私の生存証明(死亡証明)をしてくれるだろう。しかし、そのSNSフレンドでさえ、私のネットワークをすべて網羅しているわけではない。全員に伝えることはできないのだ。

困った。ならば、ライフログを常に記録し続けなければならない。何かいい方法はないだろうか。FriendFeedには私の活動が記録されるが、これも記録がなければないで、誰かが「最近、あいつのログを見ないなあ」と思うだけかもしれない。むしろ、気が付いてくれたことに感謝するべきで、普通なら気づかれない可能性の方が高いのである。

困った。自分の脈拍とかが定期的にFriendFeedやFacebook、mixiに流れてもらうとうれしいのだが、そんな仕組みはない。自分では作れないので、誰かに作ってもらいたいところだ。

これは、これから迎える高齢化社会にも役立つと思う。特に一人暮らしの高齢者に何かが起こったときに、誰かに気づいてもらう仕組みが必要だと思う。お湯を沸かすポットのお湯が何日たっても減らなければ異常事態が発生していると検知する仕組みがあるようなないようなことを聞いたことがある。アイデアはいいが、何かが発生してから気が付くまで時間がかかりすぎる。異常事態が発生したときは一刻も早く現場に駆けつけたいものだ。だからこそ、リアルタイムに脈拍などを測定し、生存している証拠としてどこかにライフログを記録する必要があると思うのだ。

ちなみに、一般的にライフログというとFriendFeedのように日々の活動を記録するネットサービスのことを意味する。重要なのは活動を記録することだけではなくて、活動がなくなったことを検知することがライフログの役目なのではないかなと思った次第である。携帯電話と組み合わせるとか、なんとか既存のテクノロジーで実現できないものだろうか。

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2008年11月15日

デジタルコンテンツを無料で公開するということ

Web上でデジタル形式で提供されるコンテンツには、音楽や新聞記事、雑誌記事、コミック、書籍、映像などさまざまなものがある。ニュースサイトで公開されているニュース記事などのほとんどは無料で入手できる。音楽は有料で販売されているケースがほとんどだが、最近ではストリーミング配信であれば無料で1曲まるごと聞くことができるようになった。

デジタル化された雑誌記事やコミックなどは有料で販売されているが、これらも音楽と同じ運命をたどるのだろうか。きっと長期的にはそうなるだろう。では、デジタルコンテンツの価値はどこにあるのだろうか。音楽であれば、やはりCDの売り上げに結びつくかもしれないし、ライブに来てくれるお客さんが増えるかもしれない。でも、新聞や雑誌記事の場合、テキストを読んだらそこで完結してしまう。ライブのような仕掛けが作りにくいのだ。もちろん、新聞社のセミナーが、音楽業界でいうところのライブにあたるのだろう。しかし、ニュース記事はほとんどの場合、1度読んだらそれで終わりである。つまり、基本的にはニュース記事はフロー情報なので、手元に残しておく必要がないのだ。これが音楽だったら自宅で聞いたり、iPodなどで聞いたりという再利用の仕方がある。映像も同じだろう。気に入った映画などはDVDで買いなおしたりする。

テキスト情報を中心としたニュース記事は、資料として切抜きを保存する用途はあるが、音楽や映像のように何回も繰り返して読み直すことはしない。新聞社や出版社は記事本体で儲けるのではなく、セミナーなどで儲けるしかなくなるのだろうか。ちょっと違うような気がするが、音楽業界が楽曲だけでビジネスが成り立たなくなったようなことが、あらゆる業界で起こるのかもしれない。

これから何が起ころうとしているのか、まだ頭の中で整理できていませんが、デジタル化できるコンテンツは、売り方をがらりと変えないといけないだろう。市場が小さくなる方向に変わってしまう可能性だってある。それをどう乗り越えるか、コンテンツ産業に携わる人の手腕が問われる。

ビヨンセの曲をFacebookアプリケーションのiLikeで聞けたりするものだから、コンテンツ産業はどうなるんだろうと考えてしまった。一般消費者にとっては低コストで音楽を聞けるのは歓迎すべきことだが、これでアーティストが育たなくなると楽しみを奪われてしまうわけだから、結局は自分のためにならない。難しいところだ。

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2008年11月12日

デジタルネイティブ度55%の俺だけど、ちょっと言わせてもらおう

NHKスペシャルで放送された「デジタルネイティブ」についてたくさんのブログで感想などが書かれている。予想通りというか、「物足りない」といった少しネガティブな意見が多かった。これは、私も感じたことである。

ブログに書いている人はそれなりにデジタルと慣れ親しんでいると考えてよいだろう。そのような人を番組は満足させることができなかった。その結果、感想として「続編を期待する」「これで終わりじゃないよね?」という意見になっていく。私も続編を強く希望する。次は、デジタルネイティブが社会人になったときに、デジタルネイティブではない人々にどのような影響を与えるかを知りたい。それも、少年がCEOをしている話ではなく、その少年が22歳のときにどのような仕事をしていて、実際に職場に配属されたときにどのような振る舞いをするのかを見たい。デジタルネイティブだからといって、全員がベンチャー企業で働くわけではないだろう。大企業に勤めるデジタルネイティブだっているに違いない。そんな普通の企業で普通に働くデジタルネイティブの姿を見てみたい。

「デジタルネイティブ」は特別な存在ではない
と前回のエントリで書いた。デジタルネイティブを物心がついたときにはインターネットがあった世代だとすると、単に新しい世代が将来は台頭するよと言っているにすぎない。デジタルネイティブが次代を変えるといわれても、当たり前すぎるのだ。常に若い人が次代を変えてきたのだから。

今となっては40歳を過ぎたおっさんも、かつては"新人類"と呼ばれていた。旧世代の人類とは価値観などがまったく異なるので、同じ人類とはいえないから新人類と呼んだわけだ。これから20年以上たった現在、新人類は普通に会社組織になじみ仕事をしている。長期的に見れば、新人類以前の人はどんどん引退しており、新人類が普通になってしまっただけかもしれない。そして、20年後は新人類も引退し、デジタルネイティブが普通になる。この現象は今にはじまったことではない。これまでも「世代交代」と呼んできた現象だ。新人類からデジタルネイティブに世代交代するだけなのだ。

古代から「いまどきの若い者は...」と言われていたようだ。きっと、デジタルネイティブ世代が就職するようになるころには、彼らは「いまどきの若者」といわれるに違いない。インターネットがあるから特殊なわけではない。もちろんインターネットが及ぼす影響は大きいだろうが、仮にインターネットがなくても新しい世代は古い世代になかなか理解されないものである。それも含めて世代交代なのだから。

ということで、デジタルネイティブ自体の切り口は面白かったので、本当に続編を期待している。ぜひぜひぜひ制作してください。ガートナーが考えるデジタルネイティブについてもっと紹介してほしいしね。

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2008年11月11日

「デジタルネイティブ」は特別な存在ではない−NHKスペシャルを見ての雑感

2008年11月10日(月)の午後10時から放映されたNHKスペシャル「デジタルネイティブ」は、将来、私たちがどのようにインターネットとかかわっていくのかを見せてくれたのだろう。ただし、正直なところ何がすごいのか分からなかった。伝えたいキーメッセージを見つけられなかった。自分にとって今回のNHKスペシャルはまったく満足できなかった。番組には期待していたのだが残念だ。

SNSを駆使して自分のビジネスを進めていく13歳の少年や、SNSで世界中の社会運動家をまとめる組織をつくったウガンダの青年、日本代表として、はてなの近藤氏がデジタルネイティブ(Digital Natives)として紹介されていたが、この人たちの共通点が分からなかったのだ。しいて言えばインターネットがなければ実現できなかったであろうことを、インターネットを空気のように思っている世代が使いこなしたといったところだろうか。

新しい技術は常に生まれてくる。そして、それを使いこなすのは常に若い人たちだ。これは、インターネット特有の話ではない。パソコンが登場したときも若い人が使いこなした。さすがに今では見かけない光景であるが、ワープロが使えないので、上司が手書きで作成した資料を若い部下がパソコンで清書したり、メールソフトの使い方が分からないので、若い秘書がすべてのメールの送受信をしていたり、笑い話になりそうなことが実際にあった。

現在の新しい技術はインターネットであり、インターネット上で動いているSNSのようなサービスである。デジタルネイティブといっても、現在の新しい技術を若い人が使いこなしているだけではないだろうか。番組でデジタルネイティブとして紹介された人は、特に特別な人に見えなかった。SNSの機能を普通に使っているだけにしか見えない。インターネットで遠くの人とコミュニケーションできるのは、すでに10年以上前から実現されている。SNSが登場したことで、見知らぬ人とコネクトしやすくなったのは事実であるが、それだけである。

番組では、デジタルネイティブの特徴として、下記を挙げていた。

  • 現実とネット 区別しない
  • 情報は"無料"と考える
  • 年齢・肩書き・所属 重視しない

現実とネットを区別しないというのは新しい感覚ではある。でも、インターネットのサービスをどんどん人が使うようになっていけば、現実とネットを区別しないようになるのは必然である。現在その感覚を持っていることは特別な存在になるかもしれないが、本や音楽をネットで購入するのがめずらしくなくなっているのを考えると、ネットだからとかリアルだからと考えている人は、もうすでに少数派になっているのではないかと思うくらいだ。

また、番組中では、「情報は"無料"と考える」については何も言及されていなかったと思う。この情報の価格というテーマは別途考えてみたいが、デジタルネイティブだから情報は"無料"と考えているのかどうか疑問だ。

最後の「年齢・肩書き・所属 重視しない」というのも、今に始まったことではない。インターネットが民間に開放される前から、パソコン通信の世界ではそれが常識だった。パソコン通信では、今ほどソーシャル機能が充実していなかったので、コミュニケーションする相手の属性を知ることが困難だったことはある。それを差し引いても、ネットの文化として、コネクトしたもの同士は対等であるという考えを改めて挙げただけにすぎない。

とはいえ、物心ついたときからインターネットを使える環境があった人間は、私のように大人になってからインターネットに触れた人間とは、コミュニケーションなどにおいて感覚が異なっているのも事実だろう。しかし、古いタイプの人も恐れることはない。先ほども書いたが、インターネットという新しい技術を使いこなした新しい人がいるだけだ。番組のサブタイトルは「次代を変える若者たち」とある。新しいテクノロジーを自分のものにした若者が次代を変えるのは歴史の自然な流れである。現在が特殊なのではないのだ。



【お楽しみ情報】
番組のWebサイトでは、デジタルネイティブ度を診断するテストがあります。ちなみに私は55%でした。はい、古いタイプの人間です。

【追記(2008年11月12日)】
デジタルネイティブが特別な存在ないことについて、言いたいことを書いてみました。あわせてお読みいただければと思います。

◎デジタルネイティブ度55%の俺だけど、ちょっと言わせてもらおう

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2008年10月16日

たくさんの情報に触れられるのはいいが、私にはどれが必要なの?

Web2.0時代になって、情報発信の垣根が低くなったのは確かです。そのため、私たちはマスコミからの一方的な情報だけでなく、周りにいる人々の意見を大量に聞くことができるようになりました。周りにいる人々といっても家族や社内だけではありません。理論上はインターネットでつながっているすべての人々の意見に触れることができます。

自分が何かのアクションを起こさなければならないとき、一般的にはたくさんの意見があった方が失敗するリスクを最小限にすることができます。グーグルやヤフーでちょっと検索すれば、自分が必要だと思われる情報がヒットします。これらのすべてに目を通せばいいはずです。が、実際はそうではないこともまた事実です。

人間一人が受け取れる情報量はある程度決まっているように思います。しきい値みたいなものがあって、それを超えると思考停止に陥るのではないかと思います。いわゆるパニック状態ですね。たくさんの人から同時にワーワー言われると、話されている言葉さえ耳に入ってこなくなる状態です。

インターネット上にある情報は膨大です。検索サイトで特定の条件で検索したとしても、大量のWebページがヒットします。果たしてこの状況はいいものなのでしょうか。もしかすると、大量の情報に容易にアクセスできる手段を持っているがために、一種のパニック状態になって思考停止してしまう場合もあるかもしれません。難しいことを言わなくても、選択肢が多いと、どれか1つを決められずに放置してしまうパターンといえばいいでしょうか。

そのため、大量の情報を整理し、その人が欲しがっている情報を伝える機能が必要になります、基本的にはFriendFeedのようなコンテンツアグリゲーションサービスが広まるといいのですが、さまざまなコンテンツをアグリゲーションしてしまうと、結局情報の洪水におぼれるだけになってしまいます。うまく情報を分類する必要があるのですが、これはまだ実現途中ですね。セマンテックWeb技術などが本格的に使われるようになれば、たくさんの情報の中から自分が必要とするものを的確に抽出できるようになるかもしれません。

何度か書いていますが、人と人とのつながりの中でコンテンツをレコメンデーションする技術もその1つとなります。でもまあ、まだ混乱している状態ですね。大量の情報に飲み込まれることなく、必要な情報が適切な分量だけ届く。そんな時代が早くやってきてほしいものです。そうすれば、仕事や趣味でもっとインターネットを活用できるだろうし、広告も閲覧者にぴったりとはまったものを表示することができるようになるはずです。

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2008年10月15日

マスコミと個人ブログの狭間で

うまく言えないけれど、マスコミと個人ブロガーがかなり対等になってきた。うまく言えないと前置きしたのは、対等に近いのだが、対等ではないということ。なにか情報を発信するという点では同じだけれど、伝え方や与えるインパクトは個人ブログとは異なる。もちろん、マスコミといってもピンキリなので、狭い範囲でしか影響を及ぼさない業界新聞のようなものもあるし、逆に全国紙と肩を並べるほどの個人ブログもある。

うまく言えないというのは、マスコミだからどうのこうの、個人ブログだからどうのこうの言う時代は終わりつつあるような気がするのだけれど、やはりマスコミの役割みたいなものもきっとあると思うし、個人ブログだから気軽に何でも発信しても構わないかと言うと、そうでもなさそうである。

うまく言えないのだけれど、以前から言われていたことを改めて書くとすると、ブログやSNSの登場により、誰でも情報発信できるようになった。これまではマスコミの特権とも言えたが、その参入障壁が取り除かれた。これは正しい解釈だと思うが、すべて正しいとは言えないような気がする。

うまく言えるかどうか分からないが、マスコミはあくまでもメディアであり、何かを媒介するものである、具体的には広告だ。マスコミは常に真実を追い求め、人々に伝えると思われているところがある。でも、それは報道という1つの機能にすぎない。報道以外にもテレビ局ではドラマを放送するし、マンガ雑誌を出版する出版社もある。真実と言うよりは娯楽のためである。広告主からみれば、視聴率を取るための道具がドラマであり、マンガだったりするのだ。広告が見られればそれでよしとする考えである。

うまく言えないままなのだが、私は個人ブロガーの立場でここに意見を書いている。多くの個人ブロガーは自分の意見を発表する場としてブログを活用していると思う。私は個人ブロガーがさまざまな意見を発信することはいいことだと思っている。マスコミの情報は絶対だと思いがちだが、マスコミも会社または媒体の意見を発信しているだけにすぎない。そういう意味では個人ブロガーとなんら変わりはない。最初に対等と表現したのはそういう意味である。

うまく言えないまま最後になるが、インターネットによる情報発信が容易になると、マスコミの代わりに多くの個人ブロガーの意見に触れることとなる。これは、事実を多角的に判断できる材料が揃うことになる。マスコミのマスコミによるフィルタがかけられた情報だけを鵜呑みにするのではなく、多くの意見を自分なりに取り込んで、自分なりの解釈をしたい。それができるのが、Web2.0時代なのである。ただし、多くの意見に触れて自分の判断で物事を解釈することは難しい。難しいというよりも面倒であると言っていい。この面倒をさせるのがWeb2.0の欠点である。欠点が見えれば次が見えてくる。現在はあまりにも情報が氾濫している。これを交通整理するのが次世代Webということになるのだろうか。もちろん、こんな単純な進化はしないだろうが、1つの進化系であることは確かだと思う。そして、こう思うことは私の意見でしかなく、私は他の人がどう考えているか知らない。私の意見が正解かもしれないし、私以外のだれかが正解を出すのかもしれない。そして、正解を出すのは、私ではなくこの記事を読んでいるあなたなのである。あなたしか正解を出せないのである。そして、その正解さえも他人と比べると、正解かどうかは不確実なものになる。

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2008年10月09日

自分の子供が次の大物になるよう期待してみよう

私が学生だった頃は、起業自体が大変なことだったし、そもそも"起業"しようと考えている人もほとんどいなかった。いわゆる「いい大学に入って、いい会社に入って、できれば公務員で安泰に生活する」を実現できた人が成功者であった。もちろん今は違う。自分で勝負をかけることができる。もちろん、自分で何かを起こすことは大変な労力だし、リスキーなことだ。しかし、それ以上の喜びを得られる権利を手にすることができる。

Yahoo!やGoogle、Facebookを立ち上げた創業者は、きっとスタートアップ時にはとてつもない苦労をしたと思う。その分、名声やお金を得ている。普通に学校を出て、普通に会社員になった人とは比べ物にならないくらいに。

今は、そんなハイリスク・ハイリターンの生き方を選べる。それはものすごくいいことだ。若いときはチャレンジをする機会があった方がいい。たとえ失敗しても普通の人と比べたらものすごく濃い人生経験を積むことができるから。それに、今の会社員はローリスク・ローリターンの生き方ではなくなってきた。ハイリスク・ローリターンになっているように思える。どうせハイリスクならハイリターンを目指していくのが賢い生き方だと思う。

ということで、TechCrunchの記事によると、次の大物はこの瞬間に生まれようとしているらしい。

次の大物たちが今こそ生まれている

大物にならなくてもいい。自分の子供には、少なくとも多様な生き方があることを教えたい。将来はどのような道を歩むのか、親が決めるものではないが、道は1つではないことを知らせたい。「いい学校を出て、いい会社に入ることが幸せなのだ」と信じさせられた時代は終わった。人生に対して賢くなるよう伝えていきたいと思う。

posted by やすお at 23:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | オピニオン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする



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