2009年08月11日

子供のコミュニケーション不足はインターネットで補えるか

すでに8月に入って1週間以上が過ぎました。学校はすでに夏休みだし、一般企業も夏休みに入っているところも増えてきました。通勤電車が痛勤電車ではなくなっているのがうれしいところですが、暑いと仕事の効率はあまり上がりませんね。しかも、周りに夏休みの空気が流れると特に。

さて、子供は小学生なので、すでに夏休みに入っています。最近は少子化のためなのか、昔のように、ちょっと公園など外に出れば同学年の友人と会えるというわけにいかなくなってきています。そもそも安全を考えて、一人で公園に行かせる親も少なくなってきました。私の近所の小学校(または自治体)だけかもしれませんが、夏休みのラジオ体操もなく、夏休み中の登校日もありません。夏休み中は、学校の友人と触れあう時間が極端に減ってしまっています。

そんなわけで、夏休み中の子供の相手は親がすることになります。小学生も高学年になれば、さすがに一人でも友達のところに遊びに行くのでしょうが、低学年のうちは難しいです。親と子供で遊ぶか、親が連絡を取り合って、遊ぶアポを取るといったことが日常になります。私のところも例外ではなく、妻が子供を映画に連れて行ったり、母親ネットワークを通じて、遊ぶ約束を取り合ったりしています。そして、土日は平日に会えないお父さんと遊ぶというのが、周りの家庭の平均的な姿になってきています。

一番不幸なのは、子供が子供同士で遊ぼうと思っても、なかなか実現できないことです。少子化ゆえに、子供が親から期待されることが多く、それが、習い事の多さなどに出てきています。つまり、いまどきの子供って忙しいんですよね。学校があるときは、学校で友達と遊んだり話をしたりできるけど、放課後は、だれかが習い事だったりして、仲良しグループ全員で集まれないとか、休みの日はお父さんに甘えたいから友達に会えないとか、とにかく、友人とじっくりと触れあう時間がないのです。

小さな子供は就寝時間が早いので、昼間に活動できる時間って、大人が考えるほど長くはないのです。睡眠時間を削って友達と遊ぶという方法も考えられますが、それは別の問題が出てきそうです。大人はなんだかんだ言って、今時の子供より自由時間は多いかもしれません。

そして、大人は携帯電話やメールやSNSなどで、誰かと触れあうことができます。特に、インターネットが普通に使われるようになってからは、友人と連絡をとるのは楽になったと思います。まあ、大人は大人で仕事が忙しくて、飲みに行けなくなるなど大人の事情があります。不況の影響で、飲みに行く時間はあっても飲みに行くための資金がないという状況になっている人もいらっしゃると思います。でもまあ、大人は大人なので、事情がわかれば問題なくなる場合がほとんどでしょう。

一方、子供はどうなのかなあと...。体だけでなく精神も発達途上である子供は、友達と遊ぶことが一番重要な成長エンジンなのではないかなと思っています。子供同士の話って、きっと小学1年生同士でもあると思います。子供同士のコミュニケーションを実現しやすくする仕組みが欲しいかなと。それは、インターネットの仮想空間上でもいいし、もちろん、リアルな場所であればなお良いと思います。現状では、リアルに会うのが難しくなっているので、なんとかインターネットで実現できないかなと思うわけです。もともと、距離を超えたコミュニケーションはインターネットを使うことで容易になります。リアルタイムではないコミュニケーションは電子メールなどで実現できます。リアルタイムコミュニケーションなら、テレビ電話だってできちゃいます。こういうのを活用して、子供の成長を手助けするのもインターネットの役目の1つではなかろうかと、最近考えるようになってきました。

「インターネットがそもそも危険な場所だ」と主張する親御さんもいることでしょう。私はそれを否定しません。でも考えてみてください。インターネットとリアルな世界とどちらが危険なのでしょうか。少なくとも、インターネット上では交通事故に遭いません。外に出なければ誘拐だってされません。危険度で言えば、インターネットもリアルな世界もあまり変わらないのではないでしょうか。むしろ、学校で交通安全指導をするように、インターネット指導を学校のカリキュラムに取り入れた方がいいのではないかと思います。

インターネットはすでに日常に入り込んでいます。その事実から目をそらさないで、きちんと何が危険なのか教えることが教育なんじゃないかなと思います。我が子を見ていると、自分の子供時代より忙しそうに見えるので、ちょっと考えてみました。

「○○くんは、今日は野球の練習があるから、放課後遊べないよ」と言われてがっかりし、次の日は親から「今日は、サッカーの練習があるから友達と遊ぶ約束はできないよ」と言われ肩を落とし、そんな日が続くとかわいそうです。子供の習い事をやめさせれば大丈夫のような気もしますが、習い事は子供が好きでやっていることも多く、続けることで本人のためになることも多いでしょう。とにかく、今時の子供には時間がないという現実があるように思います。なんとかできればなあと、子供の相手をしながら思うわけです。

夏休み前なので、いつもとは違う記事を書いてみました。こんな私でも真面目にいろいろ考えているんですよ。

ということで、今回はここまで。

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2009年07月30日

紙からインターネットへ、インターネットから紙へ

今回の記事は単なるメモです。忘れないように残しておくだけです。あまり参考になるようなことは書いてないかもしれません。すいません。

新聞や雑誌は紙を物理的なメディアとして利用しています。今さら言うことでもないですが、紙に印刷されている文字や写真といった情報はどんどんWebページというものに置き換えられつつあります。

紙はなくなるのだろうか。紙には読みやすさと持ち運びのしやすさなどさまざまな利点があります。だから単純に紙はなくならないと言うつもりはありません。Webページには紙にない速報性や検索性、版型を決めなくてもよい自由なレイアウト、動画を扱える、インタラクティブである−たくさんの利点があります。

この両者のいいとこ取りができないかなと思ったわけです。

紙の利点は、情報を表示するデバイスの進化によって、いつか現在の紙を超える時がくるかもしれません。

一方、紙はWebの利点を少しは取り込めるようになるかもしれません。といっても、紙で速報性を追求したり動画を扱ったりは無理がありそうです。

Webページの利点で活用できそうなのは、版型を決めなくていい自由なレイアウトくらいでしょうか。Webページの縦スクロールでどこまでも長いコンテンツを閲覧できるところを紙で真似できないでしょうか。

ということで、思いついたのが絵巻物です。長いコンテンツを長さ(ページ数)を決めずにパッケージとして提供できます。持ち運びには困らないでしょう。収納効率が悪くなる可能性はありますけれど。

と、こんな感じで、紙も使い方次第でインターネットに対抗できるのではないかと思ったわけです。解決策が絵巻物になるかどうかは、かなりあやしいです。

では、今回はここまで。

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2009年07月24日

報われない仕事

別の記事を書いていたが、あまりにも長くなったので、ダイジェスト版を改めて書くことにした。自分の背景をはしょってしまうと、単なる愚痴になってしまう可能性が高いのだが、思い切って自分が感じていることを書いてみたいと思う。

では、いきます。

経済状態が悪いと世の中がギスギスしてしまう。特に、成果を出し続けないと給料が下がってしまうビジネスパーソンにとって、悪い中でもどれだけ会社に貢献したのかが問われる。いわゆる成果主義の世の中といってもいいのだろう。何をもっと成果と定義するのか、それはそれで難しい話しなのだが、ざっくりと書いてしまうと、売り上げに貢献したら成果があったと認められるケースがほとんどだろう。逆に、売り上げに貢献しない仕事は成果として認められないことが多い。

さて、この売り上げであるが、新しいビジネスを起こして新しい売り上げを生みだしたとしたら、それはほぼ文句なしに成果といえるだろう。そして、一方、これまでの売り上げを維持するための仕事、例えば、既存サービスを止めずに確実に事業を継続させるオペレーションすることなどだ。オペレーションの工夫で、売り上げを伸ばすことは可能であるが、営業職でもない限り、営業スキルや営業体制、経済状況によって売り上げが変わる。サービスを提供しているかぎり、仕事の内容は変わらないのだが、担当者の成果は、自分以外の外的要因に左右される。特に、この経済状況では売上が伸びている状態にある人は少ないのではないだろうか。その場合、会社から見れば、売り上げに貢献していない仕事をしていると判断されるだろう。

愚痴になってきた。しかも長くなってきているし。さらに、はしょるか。

新しいプロジェクトが立ち上がり、新しい売り上げが発生する。そして、売り上げを計上し続けるためのオペレーションが始まる。オペレーションの仕事は新しいプロジェクトを支えるために必要な仕事だったはず。売り上げを継続的に計上するための重要な仕事のはずだ。だが、新しいプロジェクトはいつも注目を集めるのに対し、既存サービスのオペレーションは徐々に重要な仕事ではなくなる。経済状態が悪化して、売り上げが伸びなくなってくると責任を取らされる、加えて、カスタマーサービスまで考慮すると、サービスの品質を保つための仕事は売り上げの増減とは関係なく必要なものである。

手間だけかかって会社に貢献できない仕事。そんな感じになってしまう場合がある。未来の売り上げのためにコストを使う新規プロジェクトと、きっちりと売り上げと利益を確保する既存サービス。どう考えても後者の方が会社に対する貢献度は高いはず。しかし、実際は前者の方の仕事に携わった人の方が評価は高くなる。

と、こんなことを考えていると仕事のモチベーションが上がらなくなるわけですよ。しかも、既存サービスのマーケティングに携わっているのなら、なんとか売り上げを伸ばす方向で努力することができる。一方、既存サービス(特にWebで提供するサービス)を支える技術者は、サーバーのメンテナンスから小口開発までたくさんの仕事がある。サーバーのメンテナンスなんて、ただコストがかかるだけで売り上げを増やす仕事にはならない。でも、だれかがやらなくちゃならない仕事ではある。コストをできるだけ下げるために知恵を絞っても、売り上げに貢献することはない。どんなにコストを下げてもコストはコストだからだ。そして、売り上げに貢献していないという理由で、担当者の評価は上がらない。

どうすればモチベーションが上がるのだろうか。世の中にはモチベーションを上げるためのビジネス書などが多く出版されている。そんなビジネス書は売り上げに貢献できる仕事の範囲しか書いていない。必要だけど評価の対象にならない仕事をメインにしている人がモチベーションを上げる方法は紹介されていないと思う。

完全な愚痴になってしまった。この経済状況でもがんばって仕事をしている人はたくさんいる。派手な仕事をする人もいれば、縁の下の力持ちになって静かに売り上げをキープしている人もいる。誰もが平等に評価されるべきなのに、どうしても人間というものは派手な方がスゴイと感じてしまうようだ。

解決策はあるかい?
タグ:仕事


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2009年07月23日

インターネットを使えない選挙活動?笑っちゃうよね

インターネットが存在しない時代に制定された公職選挙法を拡大解釈すると、選挙活動中のWebサイトの更新は違法になるという。決められた種類の文書図画(ビラなど)を決められた枚数だけ頒布できる。Webサイトも文書図画にあたるので、公職選挙法で定められた制限を受けるというのが、分かったような分からない決まりである。

最近、話題になっているのは、ミニブログサービスのTwitterでのつぶやきも公職選挙法に抵触する可能性があるという判断がされそうなことだ。どこまで解釈を広げればいいんだよ。そのうち、候補者は電子メールも禁止されそうな勢いだ。特定の個人にあてたメールはいいけど、CCやBCCにはどんなメールアドレスも指定してはならないとか(笑)。ホリエモン事件のときに、偽造メールで混乱した政治である。冗談抜きにメール禁止はありえる(笑)。

法律なんて改正すればいいと思うけどね。インターネット時代に対応した選挙活動ってあると思うんだよね。そもそも、候補者のWebサイトを訪問する人なんて、候補者の政策などを知った上で投票しないと気が済まない真面目な人か、ライバル陣営が敵情視察をするくらいのものだと思う。

問題だと思うのは、候補者が何を考えているのかを知りたくてWebサイトを閲覧したり、Twitterでフォローしている人が持つ"知る権利"を、現行の公職選挙法は侵害しているのではないかということ。政策なんか公示前にアップしとけよということなのかもしれない。そのような意見もごもっともだが、インターネットという双方向のメディアを使うことで、候補者は自分の考えを知らしめ、選挙権を持っている人は疑問に思っていることを問い合わせることができる。

自分たちの代わりに政治をする代議士を選ぶ選挙である。自分の意見と似ている人を探すのに、ネットを活用できないのはいかがなものだろうか。若い人はインターネットを特殊な空間だと認識していない。インターネットで選挙活動ができないのは若い人からみるとさぞかし滑稽だろう。当然、そんなつまらない法律にしばられる政治を見て、あきれて投票に行かない人だって多いだろう。

「うるさい選挙カーはよく通るけど、名前しか叫んでないから、何をする人なのか分からない」「誰を選んでいいのか分からない」といった声をよく聞く。これは、せっかく国民が政治に興味を持つ公示期間中に、候補者がプレゼンをする機会を奪われているからではないかと思う。伝える手段を制限されているから伝わらない。当たり前だよね。これで、テレビ広告で選挙に行きましょうなんて言ってるんだから、お金の無駄使いもいいところだ。知らない人に国の将来を任せる選挙なんて行きたくないと思うのは常識人であれば当然だろう。

だんだん、何を言っているのか分からなくなってきた。結局、ネットを使った選挙活動を認めなさいという、改めて言うのがはずかしくなるほどのまっとうな意見を述べさせてもらいます。

政治に常識がないから国民が興味を持たないんだと思う。政治家(官僚かな?)の方は少しくらい国民の声を聞いてくださいな。結構、私たちは良識を持ってますよ。

ということで、今回はここまで。

◎参考


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2009年07月18日

デジタルイミグラントのコミュニケーション方法は飲み会が基本だぜ!

昨夜書こうと思っていた記事です。昨晩は暑気払いという名目の飲み会がありました。まあ、このご時世、眉間にしわを寄せて長時間残業をするのもいいのですが、たまには緊張の糸をほぐさないと疲れてしまいます。そんなガス抜きの意味の飲み会でした。参加者は会社の部署の人です。

仕事中は当然のことながら仕事の話題になるのですが、飲み会では仕事の話もありますが、仕事以外のバカ話がメインになります。高速代が1000円になるのは迷惑だ、など社会的なネタからボーイズトーク(エロ話)といった下ネタまで、お酒の力を借りて騒ぐのはいかがなものかとも思うけど、ストレス発散するためなんだから、いーんです(川平慈英風に)。

そんなわけで、上司や後輩と楽しく過ごしたわけです。


■デジタルネイティブのガス抜きってどうやるんだろう?

ふと疑問に思いました。主にネットでつながるデジタルネイティブたちはどのようにストレスを発散するのだろうかと。ネットで飲み会みたいなことをするのだろうか。チャットしながらお互いの部屋で飲んでいるとか、バーで一人飲みながらFacebookにアクセスするとか。

想像できない。何と表現していいか分からないけれど、リアルに顔を合わせてお酒を飲む空間は何か特殊なものを感じます。表現はおかしいけれど、音楽のジャムセッションのようなものだと思う。お互いの酒量や顔の赤さ具合、声の大きさを見ながら、どこに行くか分からない話題をフォローしつつ、自分も会話に参加する。そんなやり取りがジャムセッションのようである。そのセッションがうまくいくと盛り上がり、リラックスしながらも高揚感を得ることができる。それが楽しい飲み会というものである。

そんなリアルタイムのジャムセッションをネット経由でできるのだろうか。そもそも、そんなセッションなんか不要で、ネットならではのもっといいストレス発散方法があるのかもしれない。そのあたりは私には分からないが、デジタル移民の私には飲み会のような経験ができる場所はネットにはないと思う。

それは不幸なのか幸せなのかは分からないし、何が正しいというわけでもない。なんかこう、ボーダレスとかワールドワイドでとか言ってると格好いいけれど、もっと身近にコミュニケーションする/しなければならない人もいるのではないかと思うわけです。毎日一緒に仕事をしている仲間であっても、飲み会でしか言えないことがあります。顔を毎日合わせていてもそんな調子だ。ネットだけでつながっている人との関係だと、飲み会でしか話せないことはまったく伝えられないことになる。まあ、ネットでしかつながっていないからこそ、大胆に話せることもあるだろうけれど、それを特殊と思わないのがデジタルネイティブ世代なのでしょうか。

ということで、昨晩は久しぶりにリラックスした気分でお酒を楽しめました。こんな私でも、部署の飲み会は緊張してなかなか楽しめないのですが、昨晩はなぜか変な力を入れずに済みました。後輩が私に気を使っていたのかもしれません。

と、いろいろ書きながら、そういえばTwitterとかmixiとかでオフ会とかやったりするなあ。やっぱりネットでのつながりもリアルを求めているということかもしれません。

では、今回はここまで。よい週末をお過ごしください。

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2009年07月16日

最近はグーグルの話ばかり書いているなあ

この1週間を振り返ると、Chrome OSとAndroid携帯といったグーグルの記事ばかり書いていました。あまり特定の企業ばかり紹介するのはあまりしたくないのですが、タイミングみたいなものもあって、グーグル話が続いてしまいました。

本当はもっと書きたいことはあるんです。例えば、マイクロソフトが発表した新しいOffice。Google DocsやZoho Officeに対抗するために、Webブラウザで使えるOfficeを出してきました。しかも無料で使えるようです。いよいよクラウド・コンピューティングの時代に突入かと感じさせるニュースです。

他には、Twitterが日本でもさらに盛り上がっていきそうなので、Twitter研究をもっとしてみたいし。日本ではなかなか認知されないFacebookがTOBをしかけられるなど、ソーシャルメディア界隈の話題は尽きることがありません。

そんなわけで、今日はFacebookで遊んでいたら、チャットで話しかけられたりしてすっかりブログを書く時間がなくなってしまいました。さすがに英語でチャットをするのは慣れないので疲れます。翻訳ツールなんかも使うので時間がかかってしまうし。しかも、相手は私の英語のスキルに配慮しないでどんどんメッセージを送ってくるし。

まあ、これがFacebookの醍醐味でもあるわけですけれど。もっと英語で流暢にコミュニケーションできればなあと思います。慣れてしまえば、通常の会話よりもテキストチャットの方が翻訳ツールなどを使えるので簡単かもしれません。

とにかく、デジタルネイティブの時代は国境なんか関係ない時代になるんだろうなと思いました。グーグルが翻訳ツールを提供しているのは、地球上の知識を特定の言語を話す人の間で流通させるのではなく、言語の壁を越えて提供するのが目的です。グーグルがどこまで考えていたのか分かりませんが、コミュニケーションにおける翻訳機能はさらに重要な位置になると思います。

コミュニケーションにおける翻訳機能、モバイルにおける位置情報処理機能――これらが本当に使われるようになる日がそう遠くない未来にくるかもしれません。もう来ているという話もありますが。

今日のところは、さらりと意味不明な話題を振っておいて終わりにします。これからどうふくらませていくかは決めていません。いつかどこかで紹介する機会がくるかもしれませんし、こないかもしれません。なんかぐだぐだとひっぱってしまってすいません。

posted by やすお at 01:55 | Comment(1) | TrackBack(0) | オピニオン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2009年07月04日

デジタルネイティブが人種差別をなくすかもしれません

マイケル・ジャクソン関連の最終話です(笑)。ようやく長い長い記事を完結させるときが来ました。今回は、自分の経験から、人種の壁を超えられるきっかけになるのではないかと思い、SNSを取り上げます。

このブログでは、SNSなどのソーシャルメディアをよく取り上げています。ですので、今回書くことはもう何度も過去に書いているかもしれません。また同じことを言っているよと思った人には申し訳ないですが、重要なことだから何度も書いているとお考えください。

ちなみに、これまで書いてきた関連記事は下記です。



■もっと世界を見てみよう

私の好きなSNSにFacebookがあります。日本にはmixiというガリバーがありますが、地球規模で見ると、mixiのサービス規模はそれほど大きくありません。やはり欧米のサービスが世界では主流であり、とりわけ、Facebookは世界一巨大なSNSになっているようです。このFacebook、何がすごいのかというと世界中の人と友達になれるんです。SNSだから友達とつながるのなんて、当たり前と思うかもしれません。しかし、mixiとは圧倒的にスケールが異なるのです。

mixiはやはり日本人の日本人による日本人のためのSNSだと思います。mixiにグルーバルな視点はありません。もちろん、mixi会員の方には海外の人もいらっしゃいますが、多くの場合は、海外にいる日本人の利用がほとんどだと思います。

Facebookは日本語を使うことはできますが、会員の人数比率を考えると、英語で書き込みをしている人の割合が大きいです。英語は地球での標準語みたいなものもあるので、世界中の人とコミュニケーションするのに英語が欠かせません。話はそれますが、Facebookでは画面のメニューなどを日本語表示にして使うことができます。書き込みも日本語を使えるので、何がなんでも英語じゃなきゃダメというわけではありません。

そして、このマルチリンガルな環境がよりFacebookをグルーバルなものにします。私は、日本人には日本語でメッセージを、海外の方には英語でメッセージを送っています。海外の方には、英語を母語としない、中国人やインドネシア人、インド人の方々がいらっしゃいます。もちろん、英語を母語とする方々とも英語でやりとりをしています。

ちなみに、私はそれほど英語を使えるわけではありません。それでも、辞書や翻訳ツールを使いながら、フレンドとのコミュニケーションを楽しんでいます。Facebookを始めたのも英語の勉強のつもりでもあったので、楽しみながら英語がちょっとずつ上達するのを感じるのは楽しいです。


■フラットな関係になるデジタルネイティブたち

Facebookでのやりとりをして感じるのは、世界はフラットになったなということ。自分という個人は、各フレンドと対等の立場にいることが分かりました。年齢や性別などは関係ありません。住んでいる国とも関係ありません。

物心がついたときからデジタルツールを使うデジタルネイティブ世代は、自分と自分の周りの人が対等だと言う感覚を元から持っているかもしれません。そういった世代は、他人との差異を理解しつつ、対等であることに何の疑問も持たないと思います。つまり、人種差別とは無関係だということです。そういう人たちだけになれば、人種差別は本当になくなると思います。

そして、デジタルネイティブの影響を、私のようなデジタルイミグラント(デジタル移民)が受けるという構図になります。実際に、Facebookで海外の若い人とコミュニケーションをしていると、時には失礼じゃないかなと思うくらい対等に扱われます。日本人との感覚のズレみたいなものかもしれません。でも、それくらい対等な関係を築けることが、差別などをなくすことにつながっていると思います。

デジタルネイティブはSNSを利用することでグローバルな視点を持ち、人類最大の敵かもしれない人種差別をあっさりと過去のものにしてしまうかもしれせん。もちろん、こう書いてはいますが、単なる夢物語となる可能性だってあるでしょう。それでも、若い人たちを信じ、理想が現実になればいいなと強く思います。

お酒を飲みながらこの記事を書いているせいかもしれませんが、ぐだぐだになってしまいました。すいません。

では、今回はここまで。

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2009年07月03日

マイケル・ジャクソンの続き−スポーツの世界で(2)

前回「マイケル・ジャクソンの続き−スポーツの世界で(1)」の続きです。こんなに長い記事になるとは想定していなかったのですが、デリケートな問題でもあるため、いつもよりは慎重に言葉を選んで書いています。そのため、ズバッと言い切ることができずに、だらだらと長くなっているのかもしれません。

まあ、こんな言い訳じみたことを書かなければ、半分の分量で終わったかもしれませんけれど。実は、今回が最後ではなくて、まだ続きます(笑)。次回はSNSとからめた話題になる予定です。もうしばらくお付き合いください。

さて、私はモータースポーツが好きです。特にF1が大好きです。もう20年近くF1を見てきています。そして、自分の国がヨーロッパの人たちから異質なものとして見られていると感じたことがありました。世界を見ると、自分の世界が見えてきたといった感覚です。日本人を客観的にというか、世界での位置づけみたいなものを感じることがよくありました。


■モータースポーツでも人種差別があったのではないだろうか

私が感じたのは、ホンダの第2期(1983~1992年)の時です。ホンダは最強のターボエンジンで勝ちまくり、1988年にはマクラーレン・ホンダが16戦中15勝というとんでもない記録を出してしまいました。そして、ターボエンジンの禁止。日本のメーカーであるホンダがヨーロッパのスポーツであるF1で勝ち続けるのはよろしくないという力学が働いたのかどうか分からないですが、ターボエンジンは禁止になりました。私が日本人だから被害妄想を持っているだけかもしれないので、真相は分かりませんが。

もし、フェラーリやルノーのターボエンジンが強力だったら、どうなっていたでしょうか。ターボエンジンは禁止になっていたでしょうか。私はターボエンジンの時代が続いていたと思います。

少し話がずれますが、F1がターボエンジンのままだったら、現在のように、資金難で参戦するチームが減ることはなかったと思います。そして、バジェットキャップ制の議論もなかったでしょう。ターボを禁止したことで、エンジン開発のコストが上がったからです。そして、環境問題が大きくなっている現在を考えると、燃費のいいターボエンジン(レーシングエンジンはNAよりターボエンジンの方が燃費はいい)の開発が進み、その技術が市販車にも使われるようになったかもしれません。もしかすると、F1でのターボ技術によって、プリウスの代わりに小型のターボエンジンを搭載した自動車がエコカーとして街を走っていたかもしれません。

ここまでくると妄想ですので、話を元に戻します。


■アイルトン・セナもマイケル・ジャクソンと似ている

ホンダ全盛期のマクラーレン・ホンダでチャンピオンをとった伝説のF1ドライバーであるアイルトン・セナ。彼はブラジル人です。彼もヨーロッパという文化と戦わざるをえなかった1人であったと思います。

ヨーロッパ人でないことがハンデとなってはいましたが、ワールドチャンピオンをとり、世界中の耳目を集めました。しかし、レースをしている姿はどこか哀しいものに見えました。何か別の大きなものと戦っているように見えました。

アイルトン・セナも最後にはレースでの事故で命を落とします。あっけない突然の死。マイケル・ジャクソンと同じです。戦いに疲れ果てた結果に見えなくもありません。

そして、2007年のF1を思い出してみましょう。アイルトン・セナが所属していたマクラーレンに、ルイス・ハミルトンという若者が加入しました。ドライバーとしての素質は飛びぬけています。しかし、彼には大きなハンデがありました。ハミルトンはイギリス人ですが、黒人なのです。

デビューイヤーにワールドチャンピオンを獲得するのではないかという勢いの活躍でしたが、結局2位に終わりました。そして、世界の人々はハミルトンを嫌っているかのような言動がブログなどで見かけられるようになりました。出る杭は打たれると言います。だったらまだいいのですが、もしかするとそうではない感情によって、ハミルトン叩きのようなものになったのかもしれません。

ハミルトンは、2008年のワールドチャンピオンになりました。その結果、尊敬される存在になるのかと思いきや、世の中の空気は「ハミルトンを王者として認めたくない」「2009年はハミルトン以外の人がチャンピオンになってほしい」といった、聞こえない空気があるように感じます。

モータースポーツを愛する人間の一人として、そして日本人という白人以外の人種である人間の一人として、平等にレースが開催され、平等に評価されることを願います。

と、ここまで長く書いてきて、見えないけれどしっかりとした壁がそこにあるわけです。どうにかしなければならないのですが、どうすればいいのでしょうか。どうしようもないのでしょうか。

もしかしたら、時間が解決する問題なのかもしれませんが、その時間を短縮させることができるかもしれない可能性がSNSにあるのではないかと思うようになりました。次回はそのあたりを書きたいと思います。

では、今回はここまで。

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2009年07月01日

マイケル・ジャクソンの続き−スポーツの世界で(1)

前回の記事「マイケル・ジャクソンと人種差別」で、マイケル・ジャクソン個人が向かい合っていたと思われる人種差別について、個人的に思っていたことを書いてみました。今回は、この続きです。前回、書ききれなかったことを紹介します。


■あなたの知らないスポーツの世界での人種差別

オリンピックはスポーツの祭典です。2016年の夏に東京でオリンピックを開催するために招致合戦が始まっています。東京都内ではオリンピック関連の垂れ幕などがかなり目につくようになりました。さて、オリンピックの人気種目に競泳があります。北島康介選手などの活躍が期待されますが、今回のブログは日本人選手にスポットをあてません。

競泳の選手と陸上の選手を思い浮かべてください。選手の特徴がまったく異なることに気が付きます。陸上選手は黒人がほとんどです。黒人選手の持つバネが有利に働くのでしょう。一方、競泳で黒人選手をみかけることはあまりありません。水泳も筋力やバネが記録に有利に働きます。競泳でも陸上競技と同じくらい黒人選手が活躍していてもおかしくないはずです。

なぜ、このようなことが起きるのでしょうか。答えは、黒人はプールに入れなかった時代があったからです。黒人という理由で白人と同じプールには入れなかったのです。そのため、競泳において黒人選手が出てくることはありませんでした。もちろん、今ではこのような差別はないと思います。でも、長い歴史はなかなか習慣や考え方を変えさせません。南アフリカのアパルトヘイト政策が廃止されてからずいぶん経ちますが、人の意識はなかなか変わらないのが現実なのでしょう。

改めて断わっておきますが、私は人種差別を肯定する気持ちはまったくありません。人の意識に植え付けられた偏見が問題だと思っています。

また長くなってきました。モータースポーツの世界での話をしたかったのですが、書いているうちにとてつもなく長くなってきました。この続きは別の記事で紹介しようと思います。話の導入部分だけの中途半端にしておくのはいやですが、読みづらくなるので、ここでお許しください。

しかも、ソーシャルメディアなどいつものテーマと関係ないことをつらつらと書いてしまって申し訳ないです。次回こそ、いつものテーマに関連させて書こうと思います。

では、今回はここまで。

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2009年06月27日

マイケル・ジャクソンと人種差別

2009年6月26日、音楽シーンにおいて忘れることができないことが起こってしまった。あのマイケル・ジャクソン氏が亡くなったのだ。突然死。スーパースターでありながら、このあっけない死に世界中が驚いた。

マイケル・ジャクソンといえば、アルバム「Thriller」である。報道でPVが何回も流れているのでご存知の方も多いだろう。今となっては大きなインパクトはないPVであるが、もう25年前のPVだと知ったらどう思うだろうか。当時、MTVでThrillerのPVを見た時は、新しすぎて驚いた記憶がある。まあ、マイケル・ジャクソンがもっとも輝いていたときである。

さて、マイケル・ジャクソンの音楽については調べれば分かるので、事実を元にしたものはここでは書かない。自分が思う(感じていた)マイケル・ジャクソンについて書いてみたいと思う。

■あのマイケル・ジャクソンでさえコンプレックスがあったのでは

絶頂期のマイケル・ジャクソンを知らない人には、彼が整形手術を繰り返すなど奇人としてイメージされているのではないだろうか。報道でも、最近の彼の姿と、ThrillerのPVに出ている彼とはまったく別人に見えるだろう。特に肌の色がまったく違う。




埋め込みができないようなので、YouTubeへのリンクも紹介する。
Michael Jackson - Beat It

ここからは完全な自分の意見であり、人種差別を肯定するものでもない。単純に自分が思ったことを書く。

おそらく、マイケルは黒人である自分が嫌だったのだろう。逆に考えると、マイケル・ジャクソンという世界一成功したポップスターでさえ、黒人に対する偏見に耐えられなかったのではないだろうか。もちろん、マイケル・ジャクソンは黒人だけではなく白人にも愛されたスターである。たとえ、当時の世の中で黒人に対する差別があったとしても、マイケル・ジャクソンなら白人社会に受け入れられていたのではないだろうか。

周りが考えることと、当人が思うものは食い違いが生じることはよくあること。「黒人差別があるのなら白人になってしまえ」と思うのは無理のないことだったのかもしれない。そして、自身の白人化をここまでやらないで、自然な姿のままで活動を続けていたら、このような最後にならずにすんだかもしれない。実は、これがもっとも残念なことだ。マイケル・ジャクソンには、Thrillerのころのような、いや、ジャクソン5のころのような彼でい続けてほしかった。そしてエキサイティングなエンターテインメントを我々に見せて続けてほしかった。

偉大なスターの輝きは失われることはない。くやしいのは、星の光が届かない影の部分で苦しんでいたかもしれないスターがいたかもしれないことだ。星といっても小さな星ではない。とてつもない巨星である。巨星であっても光があるところに影があったのだろう。


■程度の差はあるが人種差別はなくなってない

実は、この記事はもっと別のことを言いたかった。長くなってきたので、今回はマイケル・ジャクソンのことしか触れなかったが、このような不幸は彼以外にもあるということ。そして、今でもその不幸はおこっていること。

はっきり言うと、人種差別はなくなっていない。悲しいけどそれが事実。そして、誰もが人種差別はいけないと思っている。でも、それは建前であって本音では人種差別を肯定する人がいる。いや、"人がいる"というレベルではなく、誰の心の中にも程度の差はあっても人種差別をしている可能性がある。詳細は別の機会で書こうと思う。あまりにも長くなってしまうから。もしかすると悲しくなるので書かないかもしれない。

そして、今は、マイケル・ジャクソンの冥福を祈るしかない。これまで僕たちを楽しませてくれてありがとう。安らかにお眠りください。

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2009年06月23日

久しぶりの更新−中身は業務連絡みたいなもんです

1週間ぶりにブログを更新します。この間、いろいろありまして、大きなこともあれば小さいこともありました。大きなことはあまり触れたくないので書きません。代わりに小さいことを書きます。といっても、私が風邪をひいていてブログどころかパソコンを触る気力がなかったくらいのものですけれどね。新iPhoneが発表されるなど、いろんなニュースがありましたが、体力的に厳しかったので、私からは何も情報を発信できませんでした。

さて、このブログといったインターネット上のサービスでプレゼンスを示すためには、何か情報を発信し続けなければなりません。以前にも風邪をひいたときに書いた「実生活とインターネットはつながるのか」で触れましたが、インターネット上では何かアクションを起こさなければ存在しないのと同じになってしまいます。

今回も不幸中の幸いで、風邪をひいただけですみました。なので、1週間くらいのお休みで事なきをえました。これがもっと大きな怪我だったり、病気だったりしたらどうしようもありません。みなさんに挨拶をすることなしに、このブログは未完ということになっていたことでしょう。

こうしてブログを更新できる自分がいること、みなさんに生きていることを連絡できることに感謝したいと思います。

余談ですが、今年に入って風邪をひくなど体調を崩すことが多くなってきました。無理がきかない年齢になってしまったのかもしれません。でも、自分の好きなことは続けたいし、もっと上を目指していきたいとも思っています。

今回は、生存証明でした。内容がなくてすいません。
次回以降の記事にご期待ください。

では、今回はここまで。
タグ:日記


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2009年06月10日

生涯賃金と3500年とF-22と戦争反対

タイトルだけでは何のことやらさっぱり分からないと思います。今回は4つのキーワードをつなげて1つの記事にしてみましょう。

F22 Raptorまず「F-22」です。これは、米ロッキード・マーチン社のステルス戦闘機です。日本はこの戦闘機を欲しがっています。今の日本の主力戦闘機であるF-4が老朽化しているために新しいものが必要となっています。その最有力候補として日本はF-22を検討しているわけです。ところが、このF-22は輸出が禁止されているため、今のままでは日本の主力戦闘機として使えません。

まあ、GMが破たんするほどの経済危機の中、お金儲けの口があるのなら日本への輸出を許可してやろうという空気が出てきたのかもしれません。ロイターが伝えるところでは、2億5000万ドル(約247億円)で輸出型のF-22を作れるということです。このお金を日本が用意できれば、日本は最先端のステルス戦闘機を入手できるわけです。朝鮮人民共和国(北朝鮮)での核実験やミサイル危機など、日本のまわりできな臭い空気が流れています。有事に備えてステルス戦闘機を配備するのもいたしかたないのかもしれません。

さて、あっさりと「約247億円」という数字を出してしまいましたが、これはどれくらいのお金でしょうか。私は資産家ではないので、1億円以上のお金は宝くじの世界、つまり夢のような金額になってしまいます。もう少し分かりやすいようにしてみましょう。

ここで、2つ目のキーワード「生涯賃金」を出します。サラリーマンの生涯賃金を調べていたら、年収ラボというWebサイトを見つけました。このサイトによると、大学・大学院卒の男性で、2億7590万円の生涯賃金になるそうです。さすがに40年くらい働くと1億円をあっさりと超えるんですね。おしいのは3億円に達しないこと。3億円事件という迷宮入りの有名な事件がありましたが、その犯人は1度に生涯賃金分のお金を強奪することに成功したということです。

話がそれてしまいました。生涯賃金は計算がしやすいように、2.8憶円としておきましょう。そして、一人の人間が働く期間をざっくりと40年とします。すると、生涯の平均年収は、2.8億円÷40年=700万円(0.07億円)になります。億という単位で年収を記述すると、なんだか悲しくなりますね。

さて、ここからクライマックスに突入です。F-22輸出型の値段は約247億円です。これを生涯平均年収で割り算すると、一人の人間がどれくらいの期間働けばF-22を買えるのか計算できます。それが、3つ目のキーワード「3500年」です。働いて得た賃金をすべてF-22購入のためにささげたとしても3500年かかるわけです。3500年の間、飲み食いをせず、住居費も払わず、もちろん一人の人間が3500年も働き続けることはできないので、自分のF-22購入の夢は、孫の孫の孫の・・・まで引き継いでいかなければなりません。一人が働く年数を40年とすると、3500年では約90代先の人まで自分の夢を引き継いでいかなければなりません。もちろん3500年後にはF-22は存在しないわけで、運よく後継の後継の後継の・・・後継機種があったとしても247億円で買えるかどうか保証できません。

おっと、3500年という非現実的な時間が登場したので、また混乱してきました。今から3500年前というと、紀元前1500年くらい。イエスもまだ生まれていません。モーゼがイスラエル人を率いてエジプトを脱出(出エジプト)したのが紀元前1440年代という説があります。また、ヒッタイト人が鉄の精錬法を発明したのが紀元前1500年ころという説があります。そんな神話の世界になってしまいます。3500年という時間はそれくらい長いものなのです。

F-22の約247億円というのは1機の価格です。実際に配備するときは1機ですみません。どれくらい配備されるか分かりませんが、10機だとすると、大口割引がきくのかもしれませんが、まあ2400億円くらいかかってしまうわけです。一人の人間が3万5000年くらい働けば稼げるお金です。ちなみに3万5000年前は後期旧石器時代になります。お金という概念さえなかったと思われる時代の話になってしまいます。

だんだん混乱してきたと思いますが、戦闘機というのはそれくらい高い買い物なのです。用途は人を殺したり、何かを破壊したりすることです。そんな用途に使うのなら、例えば、環境技術の開発に使った方がいいのではないかと思います。3500年後の地球は人類が住める環境ではなくなっているかもしれません。戦闘機を使う戦争をなくすことで、人が人を殺す行為がなくなり、3500年後の地球を守ることにつながるかもしれないのです。これが最後のキーワード「戦争反対」です。




余談の余談:
こんなことを書いていますが、実は戦闘機の造形に魅力を感じてしまう自分がいます。飛行機は格好いいのです。特に戦闘機はエッジがきいていて格好いいのです。そう思う自分と、その戦闘機が実戦で使われるときの悲しさが同時にやってくるつらさもあります。単なる偽善者なのかもしれません。

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2009年05月30日

人間の力を再認識

おかげさまで、このブログで300記事を投稿いたしました。正確には前回の記事「おサイフケータイから銀行ケータイへ」がちょうど300番目の記事でした。

これまで、ソーシャルメディアを中心にインターネット関連のサービスについて書いてきました。おかげさまで、順調にページ数も伸びており、楽しいブログライフを送っています。今後も同じようなテイストで書いていこうと思います。

とはいえ、重点分野みたいなものはないのかと思う人もいらっしゃるでしょう。まあ、大きくは変わらないのですが、今後も下記を重点分野にしたいと思います。

  • ビジネスSNSを含むソーシャルネットワークサービス(SNS)
  • モバイル機器で使うのをメインにしたソーシャルサービス
  • CGM(Consumer Generated Media)機能を取り込んだWebサービス
  • ブログなどソーシャルメディアに対して抱いている意見
  • 新しいWebビジネス/コミュニケーションのトレンド

これまで1年あまり続けてきて分かったのは、ITが人力を求めていることです。ITだけで儲かるビジネスが成立しませんし、効率よくビジネスを遂行するにはITが欠かせません。ITと人の役割分担ができつつあるのかもしれません。

私は楽観的に物事を考えるので、今のようなソーシャルメディアが世界を変えると半分本気で思っています。人が関わるからこそコンピュータだけではできないことを実現できると考えています。やはり、人の情報処理能力はすさまじいです。コンピュータは論理的ですが、人はコンピュータと比べると野性的です。非論理的な行動をしてしまうのも人間です。でも、その不完全さが、不完全な人間を面白がせるサービスを提供しているわけで、多少論理で説明できないところを残す方が、逆に人間的で温かみがあるサービスに仕上がります。

分かった!ソーシャルメディアが面白い理由」で紹介した書籍「ビジネス<勝負脳> (ベスト新書)」では、「この世の中の構造や仕組みは、すべて人間の脳が考え出したもの」と説明しています。私たちが生活するリアル空間をつくってきたのは人間の力です。この力を過小評価しないで、うまく使うビジネスが次世代のサービスとなることでしょう。

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2009年05月26日

やはり若者はスゴイ、そしてオジサン世代は何をすべきだろうか

デジタルネイティブが世界を変える』を読んでいる(まだ読み終わってない)と、自分が40歳になっていることを呪いたくなります。どうして自分は、今、この瞬間に20代ではないのかと。「デジタルネイティブ」という世代がうらやましい。これは本音である。

だけど、ちょっと考えて見ると、いつの時代も若者が新しいテクノロジーを使いこなし、時代の中心に君臨し、最後には新しい世代に道を譲る。こんなことが太古の時代から繰り返されてきた。自分も20代のころは「新人類」などと呼ばれていた。20年たつと、新人類でもなんでもない。ただの人類だ。「歴史は繰り返す」とはよく言ったものである。

では、私のようなオジサンはもう仕事や社会で用なしになってしまったのだろうか。これは、デジタルネイティブ世代に言わせれば、答えはイエスとなるだろう。「あとは俺たちに任せて、引退しろ」と言うかもしれない。「老いては子に従え」という諺がある。これもある意味正しいのだろう。だけど、私のようなアラフォー世代には若者にない経験というものがある。まあ、経験くらいしかないとも言えるのだけれど。

経験を積むには時間が必要である。ただし、時間だけが必要なわけではない。自分たちの経験によって得た知識を若者に伝えることで、若者は私たちが生きてきた時間を追体験できるだろう。私も先輩の声を聞くことで、さまざまな知識を得てきた。本を読むのもいいだろう。本には、著者の経験がつまっている。

私がデジタルネイティブ世代に対してできることは、これまでの経験を踏まえた上で今を見ることくらいだ。そしてブログに自分の意見を記録していく。それがデジタルネイティブ世代の役に立つのなら、それはものすごく名誉なことだ。

私は世代交代というのは、古いものが新しくなるだけではないと思う。古いものがあるのを踏まえて、新しい世代が付加価値を付け、より良いものにしていく。人類がより幸福になるためというと大げさだけど、より良い状態をめざしていくことが世代交代なのだと思う。トヨタ自動車的にいうと、理想の社会を目指したカイゼンが世代交代となるだろう。このたとえは、あくまでも想像だけれども。

デジタル技術は知識の保存に便利なテクノロジーだ。デジタルネイティブ世代だけでなく、その先の世代にも役立ってもらうよう、自分たちの知識を書き記していくことには意義がある。むしろ、デジタル技術も使えるアラフォー世代こそが中心となって、積極的に何かを残していかなければならないと思う。

なんだか、おじさんへのブログのすすめみたいになってしまったが、自分世代ができることを考えると、次世代に向けてできることの1つには違いない。




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2009年05月23日

人と話すと落ち着きます

最近、体の調子が悪いです。今週はものすごい倦怠感がありました。熱はないのでインフルエンザではないのですが、仕事の効率は悪いし、お借りしている本を読むペースも遅くなっています。本を読んでいるときは熱中できるのですが、本を開くまでに時間がかかるといったところでしょうか。

これは自己診断なのですが、フィジカルよりもメンタルな部分でおかしくなっているようです。まあ、このブログで自ら書けるくらいなので、深刻なものではありません。病院に行く必要もないでしょう。

そんなわけで、自分の状態が悪いことを自覚しているので、助けを求めて先輩にインスタントメッセージを出してみました。「こんちわ〜」とだけ。そしたら、こちらからは何も言わずに、夕食を一緒にしてくれるとの返事。うれしかった。

結局、3人で夕飯を食べることになり、いろんな話をしました。話をしたというより、私の愚痴を聞いてもらったと言った方が正確です。おかげさまですっきりしました。ありがとうございます。

で、帰りの電車の中で、なぜこんなストレス状態に陥っているのだろうと考えてみました。自分がやりたいことをやれてないという結論に達しました。詳細は語りませんが、私は最新技術が大好きです。それに関われていない今の状況にストレスを感じているようです。問題点が分かれば、それを解決するために何をすべきか考えればいいだけです。もちろん、さまざまな外部条件があるので、一筋縄ではいかないのですが、小さな光が見えたような気がします。

やはり、人間は一人では生きていけないものだと、今日は実感しました。ソーシャル系のサービスが人を引き付ける理由は分かります。これは過去記事「分かった!ソーシャルメディアが面白い理由」で紹介しましたね。人間が持つ力は偉大です。

はい。今日も意味がないエントリになってしまいました。今度は自分らしく未来を語ってみたいと思います。

これまで、ストレスを解消するのに、Twitterで暴言を吐いていました。しかし、それは私をフォローしていただいている人に迷惑がかかるので、そんなつぶやきはやめました。これからは、建設的に前を見て活動していきたいと思います。

では、本日はここまで。
よい週末をお過ごしください。

私の週末は、F1のモナコGPがある、インディ500もあり、モータースポーツで忙しくなります。

改めて、よい週末をお過ごしください。
タグ:ソーシャル


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2009年05月20日

「デジタルネイティブが世界を変える」という本を読んでます

デジタルネイティブが世界を変える」という本をTwitterフレンドからお借りしています。半年前の2008年11月10日に、NHKスペシャルというテレビ番組でデジタルネイティブの特集を放送していたので、「デジタルネイティブ」という言葉をご存じの方も多いのではないでしょうか。

お借りしている本ですが、かなりボリュームがある本で、なかなか読み終わりません(すいません)。ただ、内容はショッキングでもあり、特に騒ぐほどでもないとも感じるなど、内容を評価するのは難しいです。ただ、重要なことが書いてあるのは間違いないです。知っていて、騒ぐほどのことではないと思うのはいいのですが、知らないでデジタルネイティブに自分の価値観を押し付けてしまっては、デジタルネイティブもそうでない人も不幸になります。

今回は、読んだ分を整理しようと思ったのですが、体調がよろしくないので、後ほど書こうと思います。取り急ぎ、お借りした人への感謝を込めて、「読んでますよ」アピールをさせていただきます。

新しい情報を求めて、この記事にたどり着いてしまった人には申し訳ないです。その代わりといってはなんですが、私もデジタルネイティブに興味を持っている一人として、これまでに書いた記事を紹介します。テレビ番組を見てから自分なりに考えてみたことです。探してみたら、下記のような記事を書いていました。


一見、デジタルネイティブとあまり関係ないものもありますが、実はそれぞれ微妙に関連があります。今読み返してみると、自分も少しはデジタルネイティブの気持ちを理解できる立場にいるのかなと、ちょっとうれしくなりました。あっ、この感想は意味不明だとは思いますが、後日レポートしようと思います。

では、今回はここまで。



posted by やすお at 23:36 | Comment(0) | TrackBack(1) | オピニオン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2009年05月19日

新型インフルエンザなど危機管理としての在宅勤務はアリでしょうか

マスクを買おうとしたら売り切れていた。もちろん新型インフルエンザの影響である。とうとう日本国内での感染者が出てきて、兵庫・大阪を中心にちょっとしたパニック状態になっている。大阪で患者が出てということは、もうウイルスは東京にも来ていると思っていてよい。大阪と東京を往復するビジネスマンなんてたくさんいるからね。東京でも感染者が出るのは間違いないだろう。

感染対策として、マスクをすること、手洗いうがいの励行、満員電車など人ごみを避けるといったことが推奨されている。

マスクについては、冒頭で述べた通り。入手困難になっている。手洗いとうがいはできるとして、東京で働く人にとって人ごみを避けるのはどうすればいいのだろうかと、どう実行すればいいのかと、理想論だけを言っているお役所の顔が見えてくる。ここは手洗いとうがいで新型インフルエンザを乗り切ろうと思う。満員電車は仕方がない。時差出勤という手もあるけれど、混雑していない時間帯ってほとんどないから、都心の通勤電車はね。


■在宅勤務で人ごみから離れる

まあ、文句を言っても始まらないので、もう少し前向きな意見を述べたい。

記事タイトルに書いたけど、在宅勤務で人ごみを避ける方法は現実的だろうかと考えてみた。職種はかなり限られるだろうけど、それでも外出する人を減らせば、どうしても外出しなければならない職種の人にもメリットがあると思う。それだけ、人と接触する機会を減らせるので。

工場で製品の生産に携わる人やデパートといった流通業など、その場所にいないと業務ができなかったり、サービスを提供できなかったりする場合は、在宅勤務はできない。そのような職種の人は、万全の備えで業務を継続するしかないだろう。一方、パソコンと電話があれば業務ができる人は、いっそのこと出社しない方が危機管理の観点からも現実的な手になると思う。

問題はセキュリティだったりする。これまでのように、終わらない仕事を自宅に持ち帰るのが、コンプライアンスの観点で難しくなってきたので、ノートパソコンさえあれば仕事を続けられる状態にはない。コンプライアンスに厳しい大手企業ほど、自宅で仕事をすることが難しい環境になっていると思う。個人情報を扱う業務についているならなおさらである。

ということは、会社に行けなくなることを想定して、自宅でも業務を続けられるようにするのも企業の危機管理に必要なのだと思うわけだ。もちろん、自宅でのサービス残業を推奨するのが目的ではない。あくまでも、今回のような新型インフルエンザなどで外出を制限せざるをえない危機的な状況になったときに備えである。会社の許可がなければ、自宅から会社のネットワークに接続できないといった運用ルールを定めておけば、ある程度の自宅サービス残業も防げるだろう。もちろん、サービス残業を抑止するだけではなく、必要なとき以外は使えないようにするのはセキュリティの観点からも望ましい。

テレビのニュースで見たが、新型インフルエンザ対策として学校と幼稚園が休みになったものの、共働きの家庭では、どちらかが会社を休まなければ子供の面倒を見ることができないというシーンだった。もし、父親でも母親でもどちらか片方が在宅で業務を継続できていればと思った。テレビでは母親がしばらく会社を休むことになっていた。仕方がないとはいえ、母親が会社に迷惑をかけていると感じてしまい、休みが長引けばそれが負担で会社をやめることになる可能性だって出てくるだろう。会社にとっても長く休まれるのは困る。

不幸中の幸いであるが、今回の新型インフルエンザの致死率は高くなく、タミフルやリレンザも効果があるようだ。これを教訓として企業の危機管理、特に業務の継続性(Business Continuity)について見直しをした方がいいだろう。

なにしろネットの時代である。離れた場所で仕事をするのを実現するのはネットの力が巨大になったからこそできるものだ。危機的状況のときはその力を最大限利用した方がいいと思う。

まあ、でも一番重要なのは自衛かな。手洗いとうがいは励行しよう。特に小さなお子様を持つお父さんやお母さん、ぜんそくなど新型インフルエンザにかかると重篤になるリスクが高い人は自衛が最大の危機対処となる。

では、今回はここまで。

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2009年05月14日

映画「スター・トレック」(Star Trek)は映像美と人間ドラマで私たちを魅了する

運がいいことに映画「スター・トレック」のジャパン・プレミアに行くことができました。「スター・トレック」(Star Trek)とは、テレビシリーズとして始まったSF作品です。独特の形状をした宇宙船の乗組員が繰り広げるドラマです。テレビシリーズは「宇宙大作戦」というタイトルで始まりました。古風なタイトルに聞こえますが、それは本当に古いからです。最初のスター・トレック(宇宙大作戦)は1966年の放送です。もう40年以上前なんですね。私が生まれる前からスター・トレックがあったとは驚きです。スターウォーズ(Star Wars)よりも古いんです。

さて、今回の「スター・トレック」はJ.J.エイブラムス監督による新作です。これまでのスター・トレックは、SFでありながら、人間ドラマを中心とした作品でした。もちろん、今回の新作も人間ドラマが中心となるのですが、アクションがスゴイ。ハラハラドキドキの連続です。2時間くらいの作品ですが、あっという間にラストまで連れて行かれます。余談ですが、最近の私は寝不足なので、上映が始まったら寝てしまうのではないかと心配でした。でも、結果は、寝るどころか、興奮してしまって、その日の夜もなかなか寝付けませんでした。そして今夜もまだ興奮が冷めることがないです。

基本的なシナリオがいいと、物語にリアリティなどを味付けする映像も映えます。いまどきのSF映画らしく、コンピュータ・グラフィックス(CG)を活用した映像作りがされているのですが、とても自然で好感が持てました。

ちなみに、CGなどのビジュアルエフェクツは、ILM(Industrial Light & Magic)がメインを担当しています。ILMはルーカスフィルム社の傘下にある映像製作会社で、「Star Wars」のビジュアルを手掛けたことで有名です。さらに、エンドロールを見ていると、デジタルドメインも参画しているようでした。デジタルドメイン(Digital Domain)もILMと同様に、ビジュアルエフェクツでは有名な会社。「トランスフォーマー」の視覚効果を担当しています。この2社が組んだ作品のビジュアルが悪いわけがありません。想像通り、Star Warsのような空気感を出しながら、見事なリアリティを表現していました。まるで、宇宙船「エンタープライズ」がそこにあるかのような臨場感です。

スター・トレックはもともとテレビ版です。テレビ版の製作費は低く抑えられていたと思われます。私も、スター・トレックというと、映像は、業務用でありながら価格が安い3次元CG制作ソフトの「LightWave 3D」をメインに使って、製作費を抑えているという印象が強いです。今回の新しい映画版のスター・トレックは、おそらくLightWave3Dではなく、MayaやSoftimage3Dというハイエンドの業務用3次元CG制作ソフトをメインに使っているのではないかと思います。あくまでも想像なので正解かどうかは分かりません。なんかそんな気がするだけです。

あー、でも面白かった。映画自体はスター・トレックを見たことがない人も楽しめると思います。でも、どのシリーズでもいいので、これから映画を見る人は予習をした方がいいかもしれません。きっと初期の作品「宇宙大作戦」が予習するには最適かもしれません。私は、過去にスター・トレックを見たので予習をせずに鑑賞しました。深くマニアックに楽しむのでなければ、いきなり見に行っても大丈夫だと思います。

私は、復習がしたくなりました。40年以上前の「宇宙大作戦」をまともに見たことがないので、まずはこれから始めようかなと思います。

ちなみに、スター・トレックについて知りたい情報がある人は、グーグルやヤフーなどで検索してみてください。スター・トレックのファン(トレッキーという)がさまざまな情報を発信しています。もちろん映画の公式サイトもあるので、そちらもチェックしてみてはいかがでしょうか。

では、今回はここまで。
ネットとまったく関係ない話をしてみましたが、たまにはいいですよね。

「スター・トレック」オフィシャルサイト




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2009年05月08日

ビジネス書でだめなら脳を知れ−【書評】ビジネス<勝負脳>

先日の記事「分かった!ソーシャルメディアが面白い理由」で1冊の本「ビジネス<勝負脳> (ベスト新書)」を紹介した。前回の記事で書いたように、ソーシャルメディアについて調べようと思って読んだ本ではない。仕事に役立つビジネススキルを得るためのヒントになると思い購入した。私は根っからの理系人間なので、本書の「脳科学が教える」といった理系チックなキーワードに魅了されたのも事実。何か新しい切り口で脳の機能から見たビジネススキル向上のヒントが見つかることを期待して読んでみた。

前回も書いたが、目からうろこが落ちたのは「この世の中の構造や仕組みは、すべて人間の脳が考え出したもの」ということ。そして、脳が本能的に持っている欲求は3つしかなく、その3つとは「生きたい」「知りたい」「仲間になりたい」であること。その2点が最も気になった部分である。

「生きたい」と「知りたい」から科学が生まれ、「知りたい」と「仲間になりたい」から文化が生まれ、「生きたい」と「仲間になりたい」から宗教が生まれたと説明している。さらに、それらを組み合わせたり、組み合わせの配分を変化させたりすることで世の中の"仕組み"が出来上がっているとのことだ。日本人のムラ社会と西洋人の個人主義も「仲間になりたい」が強いのか、「生きたい」が強いのかの配分の差で説明がつくという。これら脳の3つの欲求を満たすような世の中になっているのが自然であり、安定した状態であると著者はいう。

逆にいえば、これらを満たさない仕組みは不自然なので、いつかはその仕組みは崩壊する運命にあるらしい。たとえば、日本の会社で導入された米国式会社経営や成果主義などだ。これらは欧米の文化に適しており、欧米人の脳は気持ちよく感じる制度である。一方、日本人の「仲間になりたい」が強い脳は不快に感じるという。確かに、成果主義がうまくいっている例を聞いたことはないし、自分も完全成果主義が自分の会社に導入されたら、居心地が悪いと感じると想像できる。なるほど。脳の機能は奥が深い。

本書は、脳の3つの本能をベースに、ビジネスにおいてリーダーになるためにはどのようなことに気をつければいいのか書かれている。著者は、リーダーになるためのヒントが書かれたビジネス書はたくさん出ている割に、立派なリーダーがたくさん登場しないのは、そもそも方法論に誤りがあるとバッサリと切っている。

ビジネス書をたくさん読んでいるのに、自分は何も変わってないと感じている人は、視点を変えたスキルアップができるようになるのではないだろうか。本書の後半では、あくまでも脳の機能から考えて、どのような行動をすべきかを解説している。「否定語を使わない」など、実践するのが難しそうな項目もあるが、心に留めておいて損はない。

今回は、このブログのテーマにあまり合わないけれど、いつもと異なる視点でソーシャルメディアを見ることができた本を紹介した。



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2009年04月20日

インターネットがインフラとなるメディア再編がありえそうな気がする

先週は思いついたことを特にまとめるわけでもなくつらつらと書いた。振り返ってみると、メディアについて頭に浮かんだことを書いていたようだ。

テレビはまた昇る」では、表示装置としてのテレビはインターネットと融合することで新たな力を持つと指摘した。現在、メディアとしてもっとも力を持っているのはテレビだろう。だからこそ広告が集まってくる。ただし、長期的に見ると落ちているのも事実である。テレビというハードウエアは進化するが、ソフトウエアとしてのテレビ番組は魅力が薄れているのだろう。

コンテンツとしてのテレビはマスに向けたメディアである。昔のテレビのように一家に一台あるのが普通の時代は、間違いなくテレビは"マスメディア"であった。現在のように一人一台にテレビが行き渡った時代になると、はたしてテレビはマスメディアと言えるのだろうか。テレビ番組を提供する方も、大勢の人に見てもらえるのを前提とした番組作りではなく、視聴者の属性を考慮しながら番組を提供しなければならなくなると思う。つまり、これは視聴率競争の終焉を意味する。これからは、番組を観た人がどのような属性の人なのかが分かる仕組みが必要になるだろう。

このような視聴者の属性を取得するのは、インターネットの世界であればすでに実施していることである。ユーザー属性に合わせて表示する広告を変えるなどさまざまな試みがなされている。

ハードウエアとしてのテレビもインターネットに接続できる機能は持っている。地上波デジタルやBSデジタルなどは、リモコンでアンケートに回答できるなど、双方向のコミュニケーションが可能になっている。これだけでは不十分だとは思うが、インターネットのように、テレビでも視聴者属性を取得する下地ができてくるのではないだろうか。ハードウエアとソフトウエア(コンテンツ)を合わせたテレビという仕組みはまだまだ進化する余地を残している。

■インターネットが主役となる放送とネットの融合

ずいぶん前から、放送とネットの融合という言葉がある。これまでは、テレビ番組をインターネットに流すことが話題の中心であったが、テレビというハードウエアを軸にした放送とネットの融合もありえると思う。ライブドアのフジテレビ買収や楽天によるTBSの買収は結局うまくいかなかった。テレビという古い産業をネットの土俵に上げるのは難しいのだろう。一方、ネットがテレビの土俵に上がるのは比較的容易なのではないだろうか。もし、時価総額の問題などがなければ、フジテレビがライブドアを、TBSが楽天を買収なんてことが実現したのかもしれない。それが実現していたらどうだろうか。おそらく、ホリエモンや三木谷氏が持っていたビジョンを少しは実現できたのではないだろうか。まあ、当時はテレビや新聞がインターネット企業を買収するといった話は出てくるような機運ではなかったので、今どうこういっても始まらないのだけど。

そして、「ネットの利用時間がテレビを超える日」が現実的になってきた。誰が希望しようと、誰が望んでいなくても、これからのメディアはインターネットがインフラとなる。インターネットの上に、テレビやラジオ、新聞、雑誌などのメディアが乗る格好となる。「テレビ対インターネット」という図式は意味がなくなる。

テレビやパソコン、携帯電話は、コンテンツを消費するハードウエアとしての位置づけが強くなる。これまで、テレビとラジオは電波を、新聞と雑誌は紙を使って情報を発信するものとしていた。これがインターネットをインフラとすることで、テレビ局や新聞社といったメディア企業は、物理的なメディアを問わないで情報を発信することになる。電波には電波の利点、紙なら紙の利点というものがあったが、それらの利点はすべてインターネットが吸収していくことになる。

電波の即時性や動画・音声を流せるといった利点は、インターネットではすでに実現できていることだ。紙の持ち運びや保存が用意という利点は、Webページとブックマーク機能で代替できる。しかも紙は長期保存には向かないが、Webページはサーバーの管理さえしていればほぼ永久に保存することができる。

放送とネットの融合なんて考え方は古いのかもしれない。これからは、統一メディアとしてのインターネットを考えた方がいいのかなと思う。時期は予想できないが、テレビや新聞といった形態はなくなるだろう。これらは、すべてインターネットで配信される動画やニュース記事という扱いになるに違いない。現在は、テレビ局や新聞社、出版社は、まだ独立した会社として存在する。数年後には、メディア企業として、動画事業部やWeb出版事業部といった、一つの会社の一部門になるくらいメディア企業の再編がなされるかもしれない。

一つの会社にならなくても、テレビとラジオ、新聞、出版の各社がグループとなり、欧米のようにメディアコングロマリットを形成するようになるかもしれない。もちろん、日本の各種法律を整備する必要があるのだろうが、メディアの役割を考えた場合、テレビと新聞を区別する必要はないと思う。特に、インターネットをインフラとした世界においては、意味がない区分けである。

posted by やすお at 23:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | オピニオン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする



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