2013年06月04日

AppleのiRadioとか、GoogleのGoogle Play Music All Accessとか

「ストリーミングによる定額制音楽配信サービスが盛り上がってきている。ただし、日本を除く」といった感じだ。

Googleが開発者向けイベントのGoogle I/O 2013で、「Google Play Music All Access」を発表し、Appleも2013年6月10日から始まる開発者会議のWWDC2013で、「iRadio」と呼ばれる定額制音楽配信サービスを発表するという噂がある。すでに、Spotifyという著名なサービスも以前からあり、GoogleやAppleは満を持してというか、ようやくといった感じでサービスを発表した(する)わけだ。

楽曲の流通手段としては、インターネット以前はCDといった物理的なメディアを販売する方式が主流だった。これがインターネットを経由したダウンロード販売が大きな割合を示すようになった。ここまでは、「聞きたい曲が欲しい」という欲求が最初にあり、楽曲を入手する手段としてCDを購入するか、ネットからダウンロードするか、ユーザーが選択したいたと考えられる。とにかく一刻も早く聞きたい場合はダウンロード、握手券が欲しければCDを購入するといった感じだ。

どちらの手段を選ぶにしろ、楽曲が欲しくなるきっかけは、ラジオであったりテレビであったり、YouTubeという場合もあるだろうが、何かをきっかけにして楽曲やアーティストを気に入り、その先に購買行動があると考えられる。

一方、ストリーミング型の音楽配信の場合は、楽曲そのものを買わせる仕組みではなく、アーティストや楽曲を気に入ってもらうためのきっかけになるサービスであると言える。そういう意味ではラジオに近く、楽曲のダウンロード販売サービスとはまったく異なるものだと思う。

とはいえ、ストリーミングによる定額制音楽サービスが盛り上がるのは、最終的に楽曲の購買につなげられる期待からだと思う。現在のラジオやテレビでは、気に入った楽曲があっても、聞いたその足でCDショップに向かうか、検索してダウンロードするしかない。しかも、CDショップやダウンロードサイトで必ず欲しい楽興を入手できるとは限らない。

その点、定額制音楽サービスは、販売できるものだけ流せばいいわけだし、リスナーにお金を落とさせるという意味では効果があるのかもしれない。想像ではあるが、AppleはiTunes Storeへの誘導を強化するサービスになるのではないだろうか。そうなればリスナーの利便性も上がる。

定額制音楽配信なんて、有料のラジオ番組だと考えればいいのに、残念ながら日本では何らかの力が働いて、新しいサービスの芽を育てようとしない。Spotifyは日本でサービスしていないし、Googleの「Google Play Music All Access」やAppleのiRadio(仮称)も日本でサービスされない可能性は非常に高い。期待したいが少なくとも数年は日本でのサービスはないだろう。

期待するのであればAppleのiTunes Storeへの集客力だろうか。定額配信でも最終的には楽曲の購入につながるのであれば、拒絶する理由はないと思うのだが、それはどう転ぶか分からない。

個人的には、普通にラジオを聴くよりもインターネットラジオが便利に思っている。それは、聴きたい音楽のジャンルなどを自分で選択できるからだ。Jazzが聴きたければ専門のインターネットラジオ局にアクセスするし、ラテン音楽が聴きたければブラジルのインターネットラジオ局に、という感じで少なくともジャンル単位ではリスナーの自由になる。インターネットラジオの弱点は、気に入った曲に出会えたときにダウンロードなり楽曲を入手する経路が弱いことだろうか、パソコンで聴いていればまだましなのかもしれないが、スマートフォンで聴いているとすぐにダウンロードしようということにはならないし、CDを購入する手続きに進むのも何かが違うような気がする。

そのあたり、AppleやGoogleはスマホを持っているので、うまいビジネスモデルを構築するのではないかと期待している。重要なことなので何度も言うが、優れたビジネスモデルがあっても日本で享受できない可能性は高い。それは残念である。

だらだらと書いてしまったので、今回はここまで。
定額制音楽配信サービスのレコメンドについても触れようと思ったのですが、これはまたの機会にします。6月10日のWWDCで、もしかしたら、もしかしたら楽しいことが起こるかもしれないので。まだAppleがイノベーションを起こす力が残っている企業だと信じてみましょう。

では、本当にここまで。



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2013年05月15日

ドラマ「ガリレオ」とWebサービスを結び付ける興味深い実験

個人的に好きで見ているテレビドラマがあります。フジテレビ系列で放送している「ガリレオ」です。何というか、理系男子の心をくすぐる番組なわけですよ。ミステリーが好きな人で理系マインドを持った人ならきっと気に入る番組だと思います。

今回は「ガリレオ」を紹介するのが目的ではないので、番組の紹介はここまでです。やりたかったのは、「ガリレオ」とWebサービスの開発について、強引にまとめることです。ストーリーは考えていません。たらたらと書きながら、どのような結論になるのかまとめていきます。自分でもどのような結末になるのか、筆(キーボード?)にまかせて書いていきます。きっと長くなると思いますが、深い内容になるとは思えないので、肩の力を抜いて、気軽に読んでみてください。


■「ガリレオ」とWebサービス開発の共通点

どちらも理系ちっくなニオイがするのが最も大きな共通点かなと思います。ガリレオと呼ばれる湯川物理学科准教授は、警察から持ちこまれる不思議な事件を科学的に解決していきます。オカルト的なものであっても、「現象には必ず理由がある」というセリフをきっかけに、現象の原因をさぐるためにそれなりに大きな実験をします。加速器やモーションキャプチャシステムなど、絵的にも科学っぽくて楽しいです。

一方、Webサービス開発では、物理的な要素はあまり強くありませんが、誰にどのようなサービスをどのようなビジネスモデルで提供するのか、論理的に検討します。もちろんWebサービスですからIT技術の活用は必須です。ITがどれだけ人々を幸せにするのか、論理的に検討するのがWebサービスの開発となります。

また、Webサービスの提供を始めてからも、どのようなユーザーが利用し、どのような使い方をしているのか、ログという痕跡を収集し解析し、次のサービス改善につなげています。もし、システム障害が発生したり、普段と異なるアクセスが発生した場合も、ログといいう痕跡を分析して、何が起こったのか解析するのはよくあることです。まさに、「現象には理由がある」をログ解析という手法で分析するわけです。

ここだけの話ですが、今はドラマが放送中ということもあり、何かの事象を調査・分析するときは心の中で「事象には必ず理由がある」とつぶやきながら仕事をしています。そして、どうしても原因が分からないときは「はっはっはっ、さっぱり分からん」と心の中で叫んでいます。ちなみに、「さっぱり分からん」も今回の湯川准教授の名セリフです。


■「ガリレオ」とWebサービス開発の異なるところ

実は、異なるところの方が多いかなと予想しています。湯川准教授が事件を解決するのに、これでもかというほど論理的です。科学というのは理詰めで進むものなので、当然なのですが、これが理系オタクには楽しいのです。おかしなヤツだと思うかもしれませんが、脳が楽しいと感じてるから楽しいのです。楽しいと感じるものは人それぞれなのでいいのです。

一方で、Webサービス開発は完全な論理の世界ではありません。開発を始める前のビジネスモデルを検討するフェーズでは、ユーザーの感情や販売する人の感情、情報システムを開発・運営する人の感情など、不確定要素を想像しながら物事を決めていきます。グーグルのように理論に基づいた仮説からスタートするところもありますが、仮説以上に社内・外のしがらみや人間関係で物事が進むことは少なくないと思います。

科学の世界は純粋なビジネス空間といっていいかもしれませんが、現実のビジネスはノイズが混じった空間になっているようで、そのノイズを考慮した進め方をする必要があります。

結局、Webサービスに限らず、ビジネスって人だと思うのですよ。Webサービスの開発だと、コンピュータとかネットワーク、プログラミングといったいわゆる理系の要素が強くなるので、理系のビジネスのように見えてしまいますが、お金を儲けることに関しては理系も文系も関係ないのかなと思っています。ちょっと話が脱線しました。

さて、純粋に論理の世界で生きていける湯川准教授(ガリレオ)は幸せだと思います。極めれば正解があるから。でも、実際のビジネスの現場においては、正解はあるかもしれなし、ないかもしれない。時とともに正解が変わる可能性だってあります。そんな不確定な世界です。でも、物理学の世界でも不確定性原理というのがありますから、実は同じなのかもしれませんが。

結局は、「さっぱり分からん」と笑い飛ばそうと思います。

では、今回はここまで。
長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。

本当の最後に「ガリレオ」の公式サイトも紹介します。2013年6月29日には映画も公開されるようです。映画も見に行きたいな。前作の「容疑者Xの献身」は個人的にはよかったからね。


◎関連サイト




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2013年05月12日

売れるサービス(製品)を提供するために忘れてはいけないこと

仕事がら顧客に喜ばれるサービスを提供したいと常に考えている。ただし、目の前の仕事に目を奪われていると、大事なことを見失うことがある。自分への備忘録として、このブログに残したい。最初に断わっておくが、あくまでも自分へのメモなので、普遍的なことを書くつもりもないし、自分以外の方々にためになるかどうかも分からない。自分の考え方として、これだけは忘れてはいけないものを思いつく範囲で残しておく。


(1)顧客(ユーザー)が喜ぶ顔を想像しよう

これは書き残すまでもない、最優先事項である。だが、仕事が忙しくなるとなぜか忘れることがある。顧客(ユーザー)のためにサービス(製品)を開発しているにもかかわらず、上司や上層部が喜ぶ資料の作成などに目標が変化している時がある。

ゴールは顧客(ユーザー)を喜ばせることである。サービスを提供するのを目標にしてはいけない。その先にゴールがあることを忘れないようにしたい。

その上で、顧客(ユーザー)を喜ばすためには、どのような施策が必要で、どれくらいのコストがかかり、収益を考慮して実現可能なのかどうかを検討すればよいと思う。サービスを企画しているときは顧客(ユーザー)のことを覚えているが、実現に向けて動き出してからは社内の事情などが優先事項になることは珍しくない。当初の目的は最後まで忘れないようにしたい。


(2)スタッフが楽になることを考えよう

(1)の「顧客(ユーザー)が喜ぶ顔を想像しよう」は、特にサービス企画からリリースまでの期間において忘れていけないことだと思っている。この「スタッフが楽になることを考えよう」というのは、どちらかというとリリース後のことである。

顧客(ユーザー)が喜んでいるのは確かなのだが、サービスの品質を維持するために、人手がかかりすぎるのはよくない。よく陥るのは「顧客が○○を望んでいるから」「顧客から理不尽なクレームが入った」といった場合、顧客に迷惑をかけないために、サービス側(製品提供側)で必要以上の対応をすることがある。顧客(ユーザー)のためだけにスタッフを増員し、コストを度外視して対応するのは、その場しのぎにはなるが、長期的には収益を圧迫して、スタッフをはじめ会社が苦しむためにサービス(製品)を提供することになりかねない。

サービス(製品)の提供は顧客との会話だと思っている。顧客(ユーザー)の言いなりになるのは会話ではない。顧客の要望を理解し、サービス(製品)提供は、収益を圧迫せず、スタッフに苦労をかけない施策を顧客に提案するのが、私の考えるサービス運営である。

言葉は悪いが、顧客(ユーザー)が絶対的に正しいわけではない。会話をすることで、顧客をより良いところに導ける可能性もある。顧客(ユーザー)との会話という言葉が生々しければ、市場との対話と言い換えてもいい。逆に言えば、独りよがりになるなということでもある。


(3)自分が楽をすることも考えよう

顧客(ユーザー)やスタッフに気を使うあまり、自分だけがすべてを抱え込むケースもありえる。顧客(ユーザー)を喜ばすのが目的でスタッフに苦労をかけたくないと考えてしまうと、自分だけが苦労するパターンになる。

どんなサービス(製品)も一人ですべてをやることは不可能に近い。なのに、自分しか分からないことが増え始めたら、それは危険な状態になりつつある。自分以外の人を楽にするために、自分が苦労するのは、自分から見たら尊い行為のように感じてしまうが、顧客(ユーザー)やスタッフから見れば、「この人がいなければ回らなくなる」という不安な感情を抱かせるだけだ。それは不幸な状態である。

自分もスタッフの一員で、顧客(ユーザー)を喜ばせる目的があるのであれば、顧客(ユーザー)を不安にさせる行為はやってはいけないことに気が付くだろう。

自分を追い込まないことが、顧客(ユーザー)を喜ばせることにつながるのであれば、どういう立ち振る舞いをすべきかは分かると思う。

 * * *

気が付く範囲で3つを挙げた。顧客を喜ばせるためにやることについては、他にも書いておくことがあるのだが、長くなりそうなので、メモのメモとして自分の中だけにしまっておく。整理できたらブログにも残そうと思う。

ということで、今回はここまで。



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2011年10月07日

天国を再発明してください ─ Steve Jobs

大きなニュースなので改めて説明することはありませんが、2011年10月5日、米アップルの共同創業者であるスティーブ・ジョブス(Steve Jobs)氏がお亡くなりになりました。ついこの前(8月25日)、CEOを退任したばかりです。いつかこの日がくると思ってはいましたが、こんなに早く訪れてしまうとは──まだ信じられません。今日は4月1日なのではと思ってカレンダーを見てみましたが、残念ながら机の上は10月のカレンダーでした。隣の人のカレンダーも10月だったので、今日は10月5日であることに間違いないようです。残念ですが。

さて、Steve Jobs氏について、私が何か言える立場ではないのですが、何か残しておかないと後悔するような気がするので、久しぶりにブログに残しておきます。

Steve Jobs── 一言で表現するなら「天才」という言葉でしょう。付け加えるなら、未来を見ることができる人、人を喜ばせるものが見える人、とにかく人が気持ちよくなるにはどうすればいいのか分かっている人だったと思います。凡人にはイノベーションが起こったかのように見えますが、彼は未来をあたかも現在の延長線のように創造していきました。

■Steve Jobs亡きあとの私たちの未来はどうなる

気になるのは、残念ながら類まれなる天才を失ってしまった私たちの未来です。もう彼が創造してきたような未来は期待できないのでしょうか。

私は未来はきっと楽しくなると楽観的に思っています。

天才を失いましたが、きっと別の天才が現れてくると信じています。マイクロソフトの会長だったBill Gates氏はある意味天才でしたし、facebookのMark Zukerberg氏は今もっとも期待できる天才だと思います。そして、Mark Zukerberg氏の後にも天才は出現するでしょう。そして、楽しい未来を創造していくに違いありません。きっとSteve Jobsクラスの天才もいつか登場するでしょう。悲観することはないと思います。

■アップルはどうなる

アップルの体制として、Jobs氏の存在があまりにも大きいので、Jobs氏がいなくなった後のアップルは悪い方向に行くと言われていました。納得するところもあるのですが、きっとアップルはJobs氏のマインドを引き継いで、少なくとも私が生きている間は革新的な企業であり続けると思っています。

8月25日にCEO退任を発表したのは、病状の悪化だと思いますが、それ以上に、後継者が育ったのではないかと考えています。そして、iPhone 4Sの発表を見届け、安心して天国に旅立ったのだと想像しています。裏をとったわけではないのであくまでも想像です。

なぜ、そう思ったのか...。

イノベーションを起こしたSteve Jobs氏です。その気になれば、自分が行き続ける方法や物を生み出したに違いありません。後継者が育ったことで、そのようなイノベーションは必要ない、「後は任せた」とカリスマは身を引いたのだと思います。アップルだけの問題だけでなく、残された私たちに未来の創造を任したのだと思います。そう信じたいです。

きっと彼は天国でも楽しいものを発明し、天国の住民を驚かせるのでしょう。それが彼の仕事なのだと思います。今の天国の状況は分かりませんが、私たちが天国(行けるのなら)に行ったときは、iPhoneのその先の楽しいものを経験できるかもしれません。もしかすると天国そのものを再発明してしまうかもしれません。

Thank you, Jobs.

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2010年12月01日

スマートフォンでブログを書きながら携帯電話の未来を考えてみた

ブログをメールで更新できることを思い出しました。日頃思っていることはメールで送ってしまえば通勤中でもブログを書けるわけです。Twitterでつぶやいてもいいのですが、140文字では表現できないことも多く、改めてブログの情報発信力に注目しようというわけです。

さて、私が最近思っているのは、なんでしょうか?

最近の私はAndroidアプリケーションの開発に興味を持っています。プログラミングなんてほとんどやったことないに等しいのですが、数独を楽しむように、パズルを解く感覚でやってます。

携帯電話で動くアプリケーションが脚光を浴びるようになったのはiPhoneが登場してからだと思います。iPhoneの登場は、ある意味、携帯電話がドラえもんのように便利なものに進化した瞬間だったのかもしれません。電話と呼ぶのがおかしく感じます。

この携帯電話はこれからどのように進化していくのでしょうか?

携帯電話が、個人に強くひもづくデバイスであることはこれからも変わらないでしょう。そして、アプリケーションを動かすプラットホームであることもしばらくは変わらないでしょう。だとしたら、個人の便利ツールから、個人をサポートする、もっというと個人と一体化したものになる可能性があります。例えると、衣服のようになるのではないかと。服は防寒だとか機能を持っています。一方、自分を表現するものでもあります。携帯電話もさまざまなアプリケーションと組み合わせて進化した結果、個人を表現するものになっていくのかなと思います。

なんか、分かりにくいですね。まだ見えない未来を想像するのは個人の頭のなかでどうとでもできますが、それを文字で表現するのは至難の技です。

ということで、今日は未来を妄想して見ました。

やっぱりXperiaだけでブログを書くのは難しいですね。思考と入力のスピードが違いすぎるので。

では、今回はここで失礼します。

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2010年04月23日

何から手をつけようか

Android端末が話題になっています。NTTドコモからはソニー・エリクソンのXperiaが発売になっていますし、ソフトバンクからはHTC Desireが近日発売となります。そういえば、auもAndroid端末が出ましたね。

さて、私はXperiaを予約して購入しました。ドコモユーザーでもあるので、iPhoneよりはAndroid端末の方がすごく気になっていました。Android端末の将来性に魅力を感じていたのも事実です。

このブログではXperiaとiPhoneを比較して、良い点と悪い点を私の視点で紹介しました。これでファーストインプレッション的なものは書ききったつもりでいたのですが、重要なものが抜けていました。スマートフォンではない端末から乗り換えたときに、ユーザーはどのような事態になるのかです。コメントで指摘をいただきました。

確かに、スマートフォンの利用率から考えると、iPhoneにしろXperiaにしろ、その人にとっては初めてのスマートフォンになる確率が高いです。つまり、本当に知りたい情報はiPhoneと比較したXperiaではなく、普通の携帯電話とXperiaの比較情報なのではないでしょうか。

そこで、私がXperia前に使っていた携帯電話とXperiaの比較記事を書こうとしたのですが、正直なところどこから手をつけていいのか混乱してきました。あまりにも書くべきことが多そうなのです。少し挙げただけでも、アドレス帳とインターネットのブラウザ、メール、アプリケーション...それぞれ1回ずつ1記事にしてもいいくらいです。おそらく、不定期な連載になってしまうでしょう。

さて、どのポイントから書いていこうかな。みなさんでリクエストがありましたら、それを優先しようと思います。とりあえずはアドレス帳かなあ。クラウドを感じた機能だったし、Xperiaの商品コンセプトを理解しやすいものであるので。

Xperia以外にも世の中の話題は多いです。例えば、FacebookはSNSというサービスを超えて、あたかもインターネットの一部のような顔をできるような機能を追加します。具体的にはLikeをFacebook以外から使えるようにします。これも数年後のネット社会には影響を与える機会がそれなりにありそうです。そして、Xperiaのようなスマートフォンを組み合わせると、なんとなく次世代のネットが見えてきそうです。

今日はたいした内容ではなくてすいません。そのうち全貌が分かると思います。気長にお待ちくださいませ。

タグ:XPERIA Facebook


posted by やすお at 03:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | オピニオン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2010年03月02日

フィードは偉大だ

Facebookの主要機能でNewsFeedがある。Twitterのタイムラインみたいなものだ。この機能はFacebookが特許をとったらしい(関連記事:FacebookがTwitter風の画面表示で特許取得=ソーシャルメディアへの影響は?)。ということは、アカウントに関する情報を流すサービスはすべてその特許に触れてしまうのだろうか。もしそうなれば、Webでの情報流通に大きな障害が出てくるだろう。実際には大きな影響はないのかもしれないが(関連記事:【暫定】facebookのニュース配信(?)特許について)。

FacebookのNews Feedは確かに重要な発明だと思う。これが出てきたおかげで、情報が他社に伝わる速度を速め、しかも情報伝達の優先度を下げた形態のコミュニケーションを実現した。

難しく書いてしまったが、Twitterでのコミュニケーションは“ゆるやか”と表現される。これまでは、メールのようなコミュニケーションは、プライベートなものであり情報を確実に伝達するのが目的だった。対極になるのかもしれないが、マスコミュニケーション(マスコミ)においては、情報をたくさんの人に伝えることができるが、特定の人に確実に伝える方式ではない。

その中間あたりが、FacebookのNews Feedである。Twitterのタイムラインも同様である。フィードを購読している人に情報を発信することで、ある程度、伝えたい人を限定した情報を流すことができる。一方、受け取り側はアクセスしたときに流れている情報を見れば問題ないと判断していいので、強制力はない。News Feedはマスコミほどのフロー情報ではないので、自分に関係する人が発信した情報をさかのぼって閲覧できる。どこまでさかのぼるかはユーザー次第だ。ユーザーが受け取る情報のコントロールもできるわけである。

また、いつものように難解というか、何が言いたいのか分からなくなってしまった。申し訳ない。

言いたいのは、過去にも書いたような気がするが、フィードによるコミュニケーションは大げさに言ってしまえば、ITがもたらした人類が使う新しいコミュニケーション方法だということ。フィードによるコミュニケーションが情報が爆発している現代において、情報を整理する方法なのだと私は思っている。GoogleがBuzzを開始したのも、フィードによるコミュニケーションが情報を整理するのに役立つからだと予想している。Gmailに実装されたのは、情報伝達・整理でメールだけでは不十分になってきたことを意味する。情報伝達・整理の次のステージをフィード(ストリームと表現してもいいかもしれない)を中心としたコミュニケーションと位置付けているのではないだろうか。

ということで、フィードは偉大なのである。

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2010年01月27日

自由を得ると束縛が欲しくなる

このブログでも何回か書きましたが、世の中のトレンドは循環しています。IT(コンピュータ)を例にして説明しましょう。ITのトレンドを見ると各スパンが短いので分かりやすいです。

まず、コンピュータが登場したときは非常に高価なものでした。ENIACといった弾道計算用に開発された機械が動いている時代です。とても個人が使うものではありません。コンピュータは複数の人が1台の機械を使うものでした。IBMが汎用コンピュータ(今ではレガシーとよばれているコンピュータ)が登場しても、1台のコンピュータはシェアする使い方が一般的でした。ホストコンピュータにあるプログラムをユーザーがログインして使うイメージです。

これが、パソコンの登場により1人1台の環境が生まれました。コンピュータを動かすプログラムは目の前にあるパソコンに保存されています。パソコンでWordやExcelを使う形態と言えば分かりやすいでしょうか。コンピュータが1台から複数台への時代です。

このパソコンだけで処理する時代は終わります。クライアント/サーバーという形態が登場します。ユーザーが使うプログラムの一部はサーバーに置かれることになります。分散していたプログラムがまた中央に戻ったイメージです。

この流れはさらに続きます。現在になるとクラウドの時代となります。プログラムもデータもすべてクラウドに配置されるようになります。パソコンはWebブラウザを起動するだけになります。この利用形態はコンピュータ黎明期(レガシーシステムがレガシーではなかった時代)と同じです。まさに「歴史は繰り返す」です。

■より自由を求めたのではなかったっけ?

コンピュータ技術の発展は、より使いやすくより自由なコンピューティング環境を目指していたはずです。実際には昔の技術を少し応用したようにしか見えない場所でぐるぐると回って改良されてきたようです。

インターネットの技術はどうでしょうか。明確に歴史が繰り返しているところはないのですが、自由を求めながら一方で束縛を求めるという奇妙な現象に気が付きました。

インターネットが登場したとき、地理的条件や時間の概念を超えて世界がつながると言われました。電子メールで時差をさほど気にせずに世界中の人とコミュニケーションできるようになったし、Webサイトで過去の情報を瞬時に取り出せるようにもなりました。ものすごく解放された感じがします。

そして、現在を見てみましょう。Twitterが流行しているのはご存じの通りです。このTwitterですが、自分のタイムラインを通して世界中の人と交流できるのが魅力です。しかし、Twitterはリアルタイム性が高く、リアルタイムという時間を共有している状態では、時間を超えたコミュニケーションとは言えません。

地理的条件を無視することはできますが、地理的条件も投稿できるサイトの登場により、ネットでもリアルな地理的条件が参照されることになります。携帯電話もからめると、携帯電話を持つユーザーがどこにいるのかを把握し、適切なサービスを提供するところも出てきます。こうなれば、ネットは地理的条件を超えることができると主張できるでしょうか。

リアルタイムWebを求めたのは、ユーザーがそれを面白い、便利と感じたからです。位置情報を取得しようとするのは、どこにいて何をしているか把握したいからです。もちろん全体的に見れば便利な方向に進化しているのですが、束縛される項目がなぜか増えています。逆にいうと、何か拘束条件を付けることで便利なサービスが登場するといったところでしょうか。

すいません、まとまってなくて。今のネットサービスが、何でも自由から一部を不自由にすることでトータルでは便利になっているような気がして、ブログにメモを残しました。

では、今回はここまで。

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2010年01月20日

冷たい数字、冷たいデジタル、人の体温を感じるデジタル

久しぶりの更新になってしまいました。実は、書きたいことがあったのだけど、暗い内容なので正月気分があるうちは書かないでおこうと決めていました。もう正月気分も抜けたところで、少し暗くなることを書いてみます。

まず、年末に悲しい出来事がありました。厳しい経済環境なので、企業ではさまざまな施策を通じて利益を出すことを考えます。または損失を最小限にくいとめようと努力します。私が勤める会社もそうでした。正社員の早期退職と派遣社員の削減を実施しました。人件費に手を付けることで、2010年以降の財務体質を強いものにするのが目的です。よくある経営手法ですね。人件費を減らして売り上げをキープできれば利益が上がるという単純な計算です。

問題(私が個人的に嫌だと感じた部分)は人の減らし方でした。人件費の削減目標があり、その数字にミートするように人が切られていったように私は感じました。派遣人件費削減の数字目標を達成するために人が切られていったように見えたのです。改めて数字の怖さを知りました。数字は数字でしかありません。人数が2人から1人に変更されても、"2"という記号が"1"になっただけです。それ以上の意味は残念ながらありません。

そして、数字の変化によって、自分たちの目の前で何が起こるかというと、人生設計を狂わされた人々が何人も出る事態となります。契約を更新できなかった人に非はありません。悪いことは何もしておらず、むしろ真面目に働いていた。それでも"数字"を達成するために、当事者の心を痛めるしかできないのです。数字が人を支配する瞬間だったかもしれません。家庭を持ち、身重な妻がいながら、このご時世で無職になる。そんな試練を与える権利が誰にあるというのでしょうか。

会社経営の視点ではこのように考えるのは甘いということになるのでしょう。私が会社経営に向かない人間であるだけのことかもしれません。とにかく、数字は嫌いです。

■数字が支えるITに人のぬくもりを


話を強引に変えます。ITもデジタル技術であるがゆえに数字が重要になります。物事をコンピュータで扱いやすくするために数値化するわけですから、ITと数字は切っても切れない関係になるわけです。だからというわけではありませんが、IT技術も少し冷たい印象を受けることがあります。融通が利かないとか細かいところもきちんと定義してやらないと動かないとか、人間にやさしくないと感じる場面はまだあると思います。

しかし、IT技術(サービスを含む)は人に貢献してなんぼだと思うので、人にやさしくなかったり、とっつきにくいものであってはならないと思うのです。コンピュータといえども"機械"を感じさせないものであってほしいと願うのは贅沢でしょうか。

さて、現在のITサービスで、人肌を感じることができるのはSNSやTwitterだと思っています。これはコンピュータがサービスを提供するのではなく、人がコンテンツを提供したり、人そのものがコンテンツであったりするからです。人が通じ合うからこそ、消費する価値があるコンテンツになり、自分の存在を再認識することにもなると思うのです。

ソーシャルメディア、特にTwitterが伸びてきたのは人のつながりの重要さに気が付いてきたからかもしれません。人が集まれば大きなことができる。それは良い方向にも悪い方向にも向けることはできるけれど、ここは性善説を信じて、良い方向に向かうのだと考えたいものです。

ああ、景気が良くならないかなあ。

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2010年01月06日

いまさらですが、あけましておめでとうございます

最近、ブログの更新が滞っています。ブログに対する熱意などが失われたわけではなく、単純に忙しいから書く時間がないのです。ご心配なく。

おっと、これが2010年で最初のブログとなります。あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

忙しいついでに白状してしまうと、今年は年賀状を書くのも少し手を抜いてしまいました。ほとんど会えない友人や結婚式に参列していただいた親戚以外には年賀状を出すのをあきらめました。悪いなと思いながらも届いたら返事を出せばいいかなと、少しいけないことを考えてしまったわけです。

年末年始は実家に帰省していたので、年賀状を見るのは1月3日を過ぎてからになってしまいました。そして改めて気がついたのは年賀状の山でした。前の会社の上司とか、「出してないヤバイ」と思ってしまうものもたくさん...。

年賀状だけのつきあいはやめたいなあと思ってましたが、いただいた年賀状からはせめて年賀状くらいは交わそうよという気持ちが伝わってきました。年賀状だけのつながりはとても薄い関係ですが、それはそれで大切な気がしました。

ネットの世界ではSNSなどで簡単につながっておくことができます。年賀状だけの付き合いのように、年に1回くらいしか会話をしない相手もSNSの中には存在します。SNSの中の人間関係は、放っておくとつながっていることも忘れてしまいます。ネットの中のつながりは、つながり易く忘れやすいといったところでしょうか。

年賀状をやりとりする相手は、自分の住所を教えたわけですから、信用できない人間ではありません。少なくとも一度はものすごく身近にいた人間であることは確かです。年賀状という物理的なものが届くことで、かつての身近な関係であった時のように、相手の存在をかなり強く感じることができます。

年賀状の大切さを思い知った2010年のスタートでした。2011年の年賀状は真面目に用意しようと思うものの、年末にはまた忙しくなっていつものように無礼をすることになるかもしれません。

ブログはそれなりにさくさくと書けるのに、年賀状となると筆不精になるのはなぜなのかよく分かりません。まあ、それはそれでおいておいて、今年も楽しくやっていこうかなと思います。

少し強引なまとめですいません。
本年もよろしくお願いします。
タグ:挨拶


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2009年11月05日

トヨタ自動車がF1から完全撤退−男の涙は何を語ろうとしたのか

残念──。その言葉では表現しきれない気持ちがある。悲しいことに、今日(2009年11月4日)の17:00、トヨタ自動車はF1からの完全撤退を発表した。2010年のグリッドにトヨタはいない。トヨタエンジンの音も聞けない。ホンダが撤退し、トヨタが去り、そしてF1に日本のチームはいなくなってしまう。

F1撤退の発表があることは、午前中にTwitterのタイムラインで知った。日本のメディアをはじめ、海外のメディアでも「撤退か」という報道がされていた。その時点ではまだ半信半疑であったが、その後に「トヨタ自動車が記者発表をする」というニュースが流れた。ここまでくると、F1撤退は事実になることが分かったようなものだ。落ち込んだことは改めて書くまでもない。

記者発表では、山科代表がトヨタと契約している日本人ドライバー2人(中嶋一貴と小林可夢偉)について言及。涙を流して、今後も支援すると話した。

この山科代表の涙は志半ばで撤退することがくやしいのはもちろん、これまで真剣勝負をしてきたからこそ出てくる涙なのだと思う。うれしい時はにこやかに笑い、苦しい時は厳しい顔をしてきた。いつも真剣だったから素直な感情を表に出せるのだと思う。記者発表でも、あの場所にいるのが一番つらいのは山科代表だったと思う。でも、立場上、出席しないわけにはいかない。心臓をえぐり取られるくらい苦しいものだったかもしれない。

私もトヨタのF1撤退を残念に思う。トヨタ自動車の財務状況などを考えると、F1撤退もやむなしというのは頭では理解できる。私がトヨタ自動車の社長であってもF1撤退を決めるかもしれない。

ホンダがF1を撤退したときも残念に思った。今回のトヨタの撤退はホンダの徹底以上に悲しい。それは、日本の自動車メーカーが自動車レースの最高峰にいなくなるからだ。いろいろありながらも、日本では自動車産業の規模は大きい。世界的に見ても巨大な産業だ。そんな国のメーカーが参加していないF1、それは自動車レースの最高峰と言えるのだろうか。

そして、トヨタがF1撤退を発表する前に、ブリヂストンがF1へのタイヤ供給を2010年で終了すると発表している。ここでも日本のメーカーが撤退だ。F1からどんどん日本企業がいなくなっていく。これでいいのかな。2011年にタイヤを供給するメーカーは決まっていない(2009年11月4日現在)。グッドイヤーやピレリが供給することはないようだ。タイヤがなければ車は走らない。

F1は存続の危機に直面している。昨年、バジェットキャップ制というF1チームを運営するための予算上限を定めようという話が決まりかけたことがあった。最高を求めるカテゴリのレースで予算上限を決めること自体はばかげていると思う。でも、そんな理想を言っていられないほどF1は危機的な状況にあるのかもしれない。

この記事を書くのに、Twitterがかなり役立った。うれしい話題も悲しい話題もどんどん入ってくるTwitterに感謝。

そして、F1に未来があることを祈って、この記事を終わります。

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2009年10月14日

新しいテクノロジーが怖いのではない。ついて行けないことが怖いのだ

自分の子供が何歳になったら携帯電話を持たせるかでよく議論になります。個人的には、生活をする上で便利になるもの、欠かせないもの、いつか使うようになるもの、に関しては早めに使わせたいなと思っています。この意見に反対をする人も大勢いらっしゃることは承知の上です。それでも、自分の子供を信じ、新しいテクノロジーにはどんどん触れてほしいのです。

例えば、携帯電話。「子供が出会い系サイトなどで犯罪に巻き込まれる」「親が子供の友人関係を知るきっかけがなくなる」「アダルトサイトなど有害サイトにアクセスしてしまう危険がある」といったことが、携帯電話反対派の意見でしょうか。子供の安全を第一に考えれば、これらも素直な意見だと思います。

ここで、雑談で出てきた話を紹介します。小学3年生の女の子が携帯電話を使って、SNSのGREEを利用しているという話でした。彼女の友人もGREEを使っているそうです。最初、この話を聞いたときは「小学3年生なのにGREEを使っているんだ。しかも携帯電話で」と驚きました。と同時に、これが現実なのだなと、うれしいやら悲しいやら、複雑な気持ちになりました。

どのような利用をしているのか詳しくは聞きませんでしたが、きっと自分の生活を楽しむために使っていることと思います。親が心配するほど子供は無茶をしないし、悪いことに使うこともないのかなと思います。もちろん、絶対に無茶をしないということもないし、悪いことに使わないという保証はありません。

■親が不安に感じるのは子供が危険に遭遇することではないかも


親が不安に思うのは、子供が無事にいることだと思います。私も子供を持つ親ですから分かります。携帯電話ばかり例にしますが、親は携帯電話に対して何を不安に思うのでしょうか。人間は自分の知らない物事に対して恐怖感を持ちます。もしかすると、携帯電話の可能性に恐怖感を持っているのかもしれません。親になっている人のほとんどはデジタルネイティブではありません。自分でも携帯電話を使いますが、高校生や大学生ほど使いこなしている自信はありません。新しいテクノロジーに対する理解のギャップが不安感を誘います。自分は新しいテクノロジーについていけないのではないだろうかと。

自分が知らないものを自分の子供に使わせるには勇気が必要です。そして、分からないものを禁止するのは自然な流れです。大人は頭がいいですから、子供のためというマジックワードで子供の行動を規制できます。

これが正しい行動なのか、正直なところ分かりません。しかし、子供も子供なりに考えて正しい判断をする。そう信じなければ子供がかわいそうかなと思います。新しいテクノロジーは人を幸せにします。一方で不幸な人を生みだす原因にもなります。例えば、インターネット経由で音楽をダウンロードして聞けるのは便利です。一方で、違法コピーなどによるCDの売り上げを減らしました。便利になって幸せな人が出てきましたが、音楽業界にとっては不都合な部分も出てきたわけです。

なお、音楽業界は、完全ではないですがインターネットという新しいテクノロジーを見方につけようとしています。iTunesなどが良い例です。

このように、携帯電話なども危険性だけを議論するのではなく、どうすれば便利になるのか議論する方が建設的ではないでしょうか。そして、ここが重要なのですが、新しいテクノロジーについて教師役となるのは、子供たちであることです。きっと、子供たちは大人より自由な発想で新しいテクノロジーを使いこなすと思います。使い方は子供たちから教わるのが良いでしょう。

大人は、子供たちが人間としてやってはいけないことに使おうとしたときに待ったをかけるくらいがちょうどいい関わり方だと思います。物事の善悪の判断は、大人のこれまでの人生経験が役に立ちます。子供たちの人生経験は浅いです。道徳的なことを教えるのが大人(親)の役目ではないでしょうか。

つまり、怖がらずに思い切って子供に任せてみても、案外うまく新しいテクノロジーと付き合ってくれるのではないかというのが私の意見です。「案ずるより産むが易し」とも言いますしね。

では、今回はここまで。

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2009年10月10日

再定義するのがこの時代の役割

Webまたはインターネットが登場して、何が変わったのだろうかと考えてみた。自分の生活や周りとの関わり方などさまざまなものが変わっており、簡単には言いにくい。あえて一言ですますなら、いろんなものが再定義されたのかなあと。つまり、すべてのものが変化し、役割や使い方が変わってしまったと言えるのではないだろうか。

訳が分からないことを書いていると思うだろうが、もう少しお付き合いいただきたい。

自分がこのブログを書いている意義を再確認しようと思い、「なぜ自分はソーシャルメディアについてかいているのだろうか」と考えてみた。

結論の1つとして出てきたのが、「ソーシャルメディアはコミュニケーションの再定義」というものだった。情報の発信と受信、情報の流通経路、あらゆるものが変わってしまった。マスコミュニケーション(マスコミ)の役割も変わってきた。そんな変化を感じたからこそ、このブログを書き始め、コミュニケーションの再定義の本質を知りたい/伝えたいという思いでブログを書き、自分を動かしている。

コミュニケーションの再定義による影響はこれから大きくなる。今はまだ初期段階。ソーシャルメディアを仕事や生活に組み込もうという動きが出てくる。すでに生活の分野では、mixiなどのSNSが友人間でのコミュニケーションで重要な位置を確立しているし、従来の友達という枠を超えた友達(フレンド)とのコミュニケーションも可能にしている。

ワークスタイルは現時点では大きな波はきていない。社内にはソーシャルメディアに慣れていない人々も多く、悪いことにソーシャルメディアを知らなかったり、知ろうとしなかったり、知っていても使えないと言いきってしまったり、社内で積極的に活用する土台が整っていない。残念なことであるけれども。

将来はビジネスシーンでSNSなどのソーシャルメディアを活用するのが当たり前になる。何年後になるのかは分からないが、先ほどのソーシャルメディアを使えないと言い切る人が引退したときに、ビジネスでのコミュニケーションの再定義が始まる。

まだまだ先は長いが、Webの技術は恐ろしいスピードで開発されている。今から、少なくとも心の準備だけはしておいた方がよい。

まとまりがないが、今回はここまで。

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2009年10月09日

Webの未来に賭けてみたい

梅田望夫氏の著書「ウェブ時代をゆく」を読んだ。梅田氏といえば、インターネットでこれから起こる未来を提示した「ウェブ進化論」の著者だ。この「ウェブ進化論」の続編というべき本が「ウェブ時代をゆく」になる。

実は、この本は2007年11月に発行された本であるのだが、私が購入してから今まで、ずっと鞄の中に入れっぱなしだった。しおりがはさんであったので、途中まで読んだのは確かなのだが、なぜか読み進めるのをやめてしまったようだ。途中でやめてしまった理由は今となっては分からない。きっと、書いてあることが現実離れしていてつまらないと感じてしまったのか、強力な楽観主義を貫き通す姿勢がいやになったのか、考えられるところはそれくらいである。

そして、偶然にも鞄の中のポケットに入っていた本書を発見し、せっかくだからと読んでみた。驚くことに、今回はとても面白く読むことができた。最後まで一気に読むことができ、なぜ前は最後まで読めなかったのか不思議に思う。

■生き方が変わるのを想像しよう

私が本書を読んで面白く感じた部分はいくつもある。梅田氏の楽観主義を貫く姿勢により、インターネットによって生ずる変化を素直に受け止められるような気にもなった。むしろ、インターネットによって、さまざまな生き方ができるようになったのだと、私はメッセージを受け取った。

この本が書かれた後に、リーマンショックから始まる金融不安が発生し、先が見えない時代となった。否が応でも変化に直面しているのが現状だ。だからこそ、この「ウェブ時代をゆく」はこれからの行動指針にもなりえる。本書のどこを読んでも、自分だったらどうするべきかを考えさせられる。特に、インターネットを「もう1つの地球」と例えることや、「けものみち」という生き方、「ロールモデル思考法」が自分にとって役にたった。

自分自身も変化の前にいる。正直なところ、元気を失っていた。でも、「ウェブ時代をゆく」を読んで、インターネットとかかわっている自分を幸運だと思うし、これから起こる変化が楽しみになってきたし、Webに人生を賭けてもいいなと思うようになった。

著者の楽観主義がうつったのだろうか。だったら、今の自分には都合がいいことである。

さて、「ウェブ時代をゆく」には参考文献として、Webページや書籍が紹介されている。ここでリンクを紹介しようと思ったが、まとめている方がいらっしゃるので、そのWebページを紹介する。

梅田望夫「ウェブ時代をゆく」参考リンクまとめ

では、今回はここまで。




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2009年10月08日

日本でも電子ブックリーダーのKindleを購入可能に−でも騒ぎ過ぎでは?

2009年10月7日にアマゾンで電子ブックリーダーのKindleを買えるようになりました。アマゾンのトップページにも大きく告知されています。私は日本にいますので、米国でのKindleの状況はよく分からないのですが、結構な人気商品になっているようです。

では、日本でもKindleはヒット商品となるのでしょうか。

私はすぐにはヒットしないと思っています。まず、Kindleで購入できるコンテンツは米国で販売されている英語の本や新聞に限られていること(2009年10月現在)。なので、現状では日本語で本や雑誌を読みたいという欲求にこたえることができません。これがすぐにはヒットしない最大の理由です。

もちろん、日本人を含む日本国内にいる方で英語のコンテンツを難なく読める人も大勢いらっしゃいます。そのような人には、日本でKindleを使えるメリットは大きいと思います。それ以外の人には、今のところKindleを購入する理由がありません。

日本語のコンテンツも将来的には出てくるでしょう。新聞が始めるのか雑誌が始めるのかは分かりませんが、出てくる可能性は高いと思います。ただし、電子化に慎重なマスコミですから、Kindleが一定数出ていない状況ではなかなかコンテンツをKindle向けに配信するのは難しいと思います。特に大手新聞社や出版社は慎重になると思います。

そして、コンテンツがなければKindleの普及も進まない、という鶏が先か卵が先かの話になり、電子出版というビジネスのパイがなかなか大きくならないような気がします。Kindle自体の価格も高いです。本を読むために2万円以上のお金を支払うよりも、紙の本や雑誌を購入した方が手軽だと感じる人は多いでしょう。紙であればカラーで読めるわけだし。

では、Kindleのメリットはないのかというと、読みたい本や雑誌を常に持ち歩けるところくらいかなと思います。自分が持っている楽曲をすべて持ち歩けるようにしたiPodのような感覚で本や雑誌をすべて持ち歩けるようになるわけです。

しかし、これも2万円以上を支払う価値があるのかというと疑問が残ります。自分のことを振り返ってみましょう。読みたい本がある場合、自分は何冊の本を持ち歩きたいだろうかと。私が持ち歩いている本は1冊だけの場合が多いです。もうすぐ読み終わるというときには2冊の本が鞄の中に入っていることもありますが、基本は1冊だけです。

本が重たいからではありません。外出中に読めるのは時間的に1冊が限度だという意味です。これが1日で何曲も聞くことができる音楽と異なる点です。つまり、持ち運びも紙の状態であまり困らないわけです。

結局、Kindleを積極的に購入する理由を見つけられませんでした。少なくとも私にとっては。

希望があるとすれば、画面がカラーになったKindleでしょうか。これが出れば、2万円以上を支払う価値が出てくるような気がします。そして、日本語のコンテンツも十分にあることも前提条件になります。

米国でKindleが売れている理由をまったく理解していない私ですから、ここに書いたことなどまったく関係なく日本でもKindleブームが起こるかもしれません。予想は難しいです。

Twitterのタイムラインを見ていると、Kindleを予約した人も何人かいらっしゃいました。ちょっとしたKindle騒動みたいな感じに見えたので、この記事を書いてみました。とにかく日本語のコンテンツの登場が待たれますね。Kindleが普及するかどうかはこれにつきると思います。

では、今回はここまで。

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2009年09月01日

せっかく政権交代するのだから、政治もネット対応にしてほしい

2009年8月31日の総選挙は歴史に残ることになるだろう。民主党が308議席を獲得し、単独で過半数を占めた。これにより、政権交代が実現し、自民党は下野し、民主党が与党となることが決まった。

民主党が訴えているように二大政党制になっていくのか、民主党が新しい自民党として政治をするだけなのか、その結果は1年以上先にならないと分からない。はっきりしているのは、小泉改革以上の変革がこれから先の日本に待っていること。今の日本に蔓延している閉塞感を打ち破ることができるかもしれないし、さらにひどい状況になる可能性だってある。とにかく、私を含めて国民は民主党に政権を与えた。これからの日本がどうなるか、それは政治家だけでなく、我々国民も何らかの責任があるのではないだろうか。

と、政治の話をこのブログでやっても仕方がないので、政治とネットについて軽く触れたいと思う。

■ネットでの選挙活動を違法にするな

今回の選挙では、Twitter議員なる人が登場した。逢坂誠二氏などがそうで、つぶやきサービスのTwitterを使って、政治活動を含む内容をつぶやいている。報道で取り上げられている「当選確実なう」とつぶやいたのも逢坂氏である。

過去に記事「インターネットを使えない選挙活動?笑っちゃうよね」でも指摘したが、公示期間中に選挙活動に関することをWebサイトに記載したり、Twitterで何かをつぶやいたりすると公職選挙法に抵触してしまう。米国の大統領選挙でオバマ氏がTwitterやFacebookを使って選挙活動したことは有名な話だ。オバマ氏はそのようなソーシャルメディアを活用することで、支持者を増やし、米国民に対して「CHANGE」「Yes. WE CAN」というメッセージを伝えることができた。日本人にもオバマ氏のこのメッセージは伝わっている。

こんな使いやすいWebサービスがあるのなら使った方がいい。古臭い法律に縛られて、国民にメッセージが伝わらないのなら、法律を改正すればいい。何もかもを変えることができる権限を持った民主党には、このタイミングで公職選挙法の改正に力を入れてもらいたい。移動中の車からは候補者の名前くらいしか言えない不思議な法律なら変えてしまった方が国民の利益になる。

■政治はネットでやればいいんじゃない?

ネットと政治をからめると、そもそも議員を選挙で選んで政治をする間接民主制が必要かどうかも分からなくなってくる。間接民主主義は、国民全員が議会で議論することは不可能なので、代表者(代議士)が国民の代表として議会を運営する形態である。古代の村を統治するのでなければ、直接民主制を導入するのは難しいので、現代では間接民主制をとるしか効率的な国家の運営はできなくなっている。

ただし、これはネットが登場する前の話である。インターネット上でバーチャルな議会を開催し、国民は自分の意思でその議会に参加できるようにはならないだろうか。法案を提出するのは一定数の賛同者が集まれば提出できるものとし、可決するかどうかはネット経由で国民が投票すればいい。ITを使えば、1億人くらいの投票結果を集計するのなんて一瞬だろう。つまり、法案に関しては、国民投票を行って可否を決めるというわけだ。

ネットなどITを使えば、直接民主主義で国を運営することも不可能ではないだろう。もちろんすぐに実現できるわけではないが、民意をより正確に反映できるテクノロジーであれば、積極的に導入すべきではないだろうか。

■民主党が与党でいられる時間は長い?短い?

民主党は浮動票を味方につけて政権交代を果たした。かつての自民党のように支持基盤が強いわけではない。ということは、民主党による政治がうまくいかなければ、今回民主党に投票した人は、次の総選挙で民主党以外の政党に投票する可能性は高い。

民主党は短い期間で成果を求められる。マニフェストに書かれたことをすべて実現することは難しいだろうが、1年、いや半年以内に何か目に見える成果を出す必要があるだろう。そうしなければ、国民が不満に思い、「自民党と同じじゃないか」と批判にさらされかねない。もちろん、国民だけでなく自民党を中心とした野党からも解散総選挙への圧力が大きくなるだろう。

民主党は次回の選挙に備える意味でも、公職選挙法を早急に改正した方がいいのではないだろうか。少なくとも、高速道路を無料にしたり、高等教育を無償にしたりするよりも重要だと思う。

では、今回はここまで。

posted by やすお at 00:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | オピニオン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2009年08月29日

数学はドラマだ−「ポアンカレ予想」を読んで

ひょんなことから「ポアンカレ予想―世紀の謎を掛けた数学者、解き明かした数学者」という本を手に入れました。私は根っからの理系なので、物理や数学の話は大好きなのです。おっと、そもそも「ポアンカレ予想」って何?という方も大勢いらっしゃるでしょう。競馬で勝ち馬を予想する方法でないことは確かです。数学の話なのです。

ポアンカレ予想をwikiで調べてみたところ、「単連結な3次元閉多様体は3次元球面S3に同相である。」とありました。意味不明ですね。しかも、これは3次元での話に限定したポアンカレ予想です。これをすべての次元を対象にしたのが「n次元ホモトピー球面はn次元球面に同相である」というものです。もっと分かりにくくなりましたね。実は私もよく分かりません。

具体的にイメージできるように3次元の世界を考えてみましょう。まず、ある物体の一点にロープの端を結びます。そのロープを物体の上を這わせます。どの場所を通っても構いません。そして、もう一方のヒモの端を出発した点に結びます。その状態で、ロープを手繰り寄せ、見事にロープを回収できたとしましょう。そうすると、そのロープを這わせた物体は球みたいなものであると言えるというのが、ポアンカレ予想です。

3次元だけでなく、4次元や5次元の物体にも同様に、物体の表面にロープを這わせて、無事に回収できれば、その物体は、4次元や5次元の球であると言えます。文字では4次元の球とさらりと書いてしまいますが、実際にはどのような球なんでしょうかね。想像力が乏しい私には想像できません。

なので、ここでは単純に考えましょう。ボールの1点にヒモを出し、くるくると巻きつけて、元の1点にひもを結ぶ。そして、ひもを1点に回収できることを証明すれば、ポアンカレ予想は予想ではなく、めでたく定理になることを証明できるわけです。イメージできましたか?

3次元のボールであれば、ひっかからずにできそうだと直感的に分かります。でも、それを数学的に証明するのが難しいんですね。なんと、ポアンカレ予想を解くのに100年かかってしまいました。それくらい難問だったわけです。最終的にはロシアの数学者であるグリゴリー・ペレルマンが証明したとされています。すごいですね。

■数学者の100年にわたるつながりが面白い

このポアンカレ予想を解くまでが、読んだ本「ポアンカレ予想」に書かれているわけですが、ものすごくドラマチックです。ある学者が解いたと宣言すれば、反例や説明不足を指摘され、論文を修正されれば、また反例を提示される。そんなことの繰り返しの100年だったわけです。そのドラマを一般向けに書いてあるわけです。まあ、一般向けといっても数学の専門用語がどんどん出てきて、私を含む知らない人にとっては、暗号が書かれているようにしか思えません。

でも、この本の楽しむべき部分は、数学のややこしいところを理解することではありません。あくまでも、100年の間にポアンカレ予想に挑んだ数学者たちの生きざまを楽しむべきなのです。数学の理論なんて二の次です。それだけ理解できれば、理科系が好きな人は楽しめる本だと思います。根っからの文系という人はどうでしょうかね。読み進めるのは難しいとは思いますが、理系の私より、かえって人間ドラマに着目できるかもしれません。

しかし、100年ですよ。100年。人間の一生を超えています。ということは、一人の学者の努力でポアンカレ予想を証明できたわけではないのですよ。たくさんの人が挑戦し、敗北し、その屍の上に乗りつつ、残ったのがたまたまグリゴリー・ペレルマンだったと言っていいかもしれません。人間の知がつながった100年だったと言ってもいいかもしれません。

■100年のつながりはSNSに通じる

この100年のつながりってSNSに似ているような気がしました。FacebookやmixiといったSNSは"距離"を超えて人と人がつながる場所です。この"距離"を"時間"に置き換えると、"時間"を超えて人と人がつながる場所となります。

これまで、比較的長い時間を超えてコミュニケーションするには、書籍などを通じて先人の知識を得るという方法が一般的でした。SNSに蓄積された知というのは、インターネット上に残ります。きっと100年は余裕で保存されるでしょう。その時、先人の知恵を得るのに、先輩の学者からさらにその先輩の学者、さらにその先輩の先輩に・・・と、どんどん過去にさかのぼれます。もし、ポアンカレ予想が現在に提示されていたとしたら、IT技術の発展もありますが、学者のネットワークを構築していくことで、研究内容をより交換しやすくなり、結果的に100年よりずっと短い時間でポアンカレ予想を証明できたかもしれません。

なんか、私の文章も難解になってきましたね。人と人がつながれば、その間に知識(情報)の蓄積が発生します。情報共有というのは、人と人が情報という糸でつながっている状態だと言えます。一人の人はさまざまな色の糸を持っています。ほしい情報を検索するときは、同じ色の糸を辿っていけば、関連する何かを知っている人に出会え、さらに糸をたどると別の人の意見を聞くことができ、やがて、自分が欲しい知識を効率よく収集できた状態になる、と思います。糸をたどった先の人が存命なのかどうかはあまり関係ありません。知の糸をどうたどって、目的の知識を獲得するかが問題になります。

「SNSが知識ベースになる」と思ってきました。言いかえると「SNSが知識を蓄積する場所になり、従来の検索よりもより柔軟に目的の情報を入手できるようになる」となるでしょうか。これを、やすおの予想とでも言っておきましょうか。−冗談です。

では、今回はここまで。
なにも情報がない割には長くなってしまって申し訳ありません。



posted by やすお at 02:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | オピニオン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2009年08月22日

なんでもやりたい病にかかってます

自分のいいところでもあり、悪いところでもあるのですが、「あれもこれも、やりたーい!」と思ってしまうときがあります。結局、時間がないので何もできずに終わってしまうので、どちらかというと悪い性質のようです。「あれをやると、こうなるから、もしかするとあーなるかなあ」なんて、勝手に妄想して楽しんでしまい、それで終わってしまうのです。

今回は、公開されているWebサービスのAPIを使って、何か面白いサービスはできないかなあというところから始まりました。そして、「ソフトウエアを開発したい。自分でプログラミングしたい」と思うようになりました。

悪いことではないのですが、プログラミングなんてものすごい久しぶりだし、そもそも自分がプログラムをかじった時と比べると、プログラミング言語が異なるし、開発手法・ツールもかなり違います。最初からやり直す感じになります。

小さくてもいいから何か自力でつくることで、クリエイティブなことをしている空気に浸れます。仕事に関係なく、何かを作る。それが気分転換にもなるのかなあと。

ソフトウエアの開発以外に、何か電子工作をしてみたいなあとか、プラモデルをつくりたなあとか...。ダイエットにも調整したいし、サーキットで車を走らせてみたいし、レースのオフィシャルになって、F1の運営に携わってみたいとか、もう分野なんか関係なく「いろいろやりたい病」の影響が出てきています。そして、何も手を付けていない...。なんだかなあ。

まあ、いろんなことに興味を持てるのは、まだマシなのかなあと思います。また、こんなバラバラな趣味でも、mixiやFacebookにいると、どこかで共感してくれる人もいるので、なにか妄想をしているだけでも楽しくなってきます。でも、これじゃあだめだね。

そもそも、このブログも「何かやりたい病」が発端でした。幸いにも実行に移すことができ、続けることもできています。ブログのおかげで、人脈が広がった気がします。楽しいです。問題は、ブログを通したコミュニケーションで、「何かやりたい病」の対象分野が広がったことくらいかな。いいのか悪いのか分かりませんが、何か1つくらいは、「やりたい」ではなく「やった!」と言えるようにしたいです。

でもなんだか、何かから逃げてるなあ。

意味不明の内容でごめんなさい。
今回はここまでにします。
タグ:日記


posted by やすお at 02:20 | Comment(2) | TrackBack(0) | オピニオン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2009年08月21日

少しだけマスメディアについて考えた−「2011年 新聞・テレビ消滅」を読んで

新聞、テレビ・・・これらは構造不況に遭遇しているマスメディアである。構造不況に陥ったのは、言うまでもなくインターネットの登場である。情報の流通を支配していたメディア企業が、インターネットの普及によりオープン化した。旧来のメディアは権力であったが、今では単なる情報提供者である。

読む人が読めば辛口な意見であるが、現実でもある。マスに対して絶対的な権力であったマスメディア。今ではその"マス"が存在しない多様化した世界になった。マスがないからマスメディアは機能しない。当たり前である。

佐々木俊尚氏の著書「2011年新聞・テレビ消滅」(文春新書)を読んで、"メディア"の役割が変わったのだと改めて感じた。私もメディアに携わる人間である。この本に書かれていることは理屈では分かっている。一方、認めたくないという感情も持っている。だが、米国での新聞社の凋落を見るまでもなく、マスメディアには構造改革が必要だ。

では、どう変わればいいのか。本書では、コンテンツプロバイダとして生き残るか、情報を流通させるプラットフォームになるか、そのどちらかであると説明している。私もこの主張に同意する。そして、コンテンツプロバイダに徹することが楽な道であるが、得られるものが小さくなることも分かる。ヤフーやグーグルのようにプラットフォームを提供する側になるのは、厳しい道であるが得られるものも大きい。まさに、ローリスク・ローリターンかハイリスク・ハイリターンかのどちらかを選択しろと言われているのに等しい。

個人的にはプラットフォームを提供する側になりたい。ただし、現在のメディア企業の経営者がこの案を受け入れられるかと言われたら、答えは明確にノーだろう。

人は変化を嫌う。しかもこれまでに築きあげてきたものが大きければ大きいほど、変化を嫌う。メディア企業がプラットフォームを提供する側になるというのは、自分を否定することにつながる。でも、やらなければメディア企業の未来はないだろう。

現在は、mixiやTwitter、Facebook、FriendFeedなど、ソーシャルメディアがインターネット上で情報を伝える役目で重要な位置にきている。口コミを発生させたり、情報をフィルタリングして必要な人に必要な情報を届けたりするのに現時点では最適なプラットフォームに育ってきた。

現在のマスメディアはこのソーシャルメディアを運営する企業に生まれ変わる必要があるのかもしれない。まあ、これは今の仕事を捨てよと言っているのに等しいので、実現は難しいのだが、これこそが、ハイリスク・ハイリターンの道なのだと思う。幸いなことに、マスメディアには良質なコンテンツを生みだす機能はある(と思う)。あとはそれを流通させる手段を持つだけである。

ちょうど衆議院選挙の時期である。民主党が政権を取るかもしれない変化の時である。マスメディアも変化してみてはいかがだろうか。

では、今回はここまで。



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2009年08月20日

インターネットなしの1週間だと思っていたのだけど・・・

夏休みを取っていたので、7日間だけですがパソコンに触らない生活をしていました。この間、子供と遊んだり、帰省を兼ねてUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)に遊びに行ったり、カードゲームの大会に参加したり─普通の夏休みとして過ごしました。

「パソコンがなくても楽しい生活ができるじゃん」と思いましたが、この1週間の生活を振り返ってみると、携帯電話で時刻表を調べるなど、ネットサービスは利用していることに気が付きました。改めて言うことではないですが、携帯電話の情報サービスはインターネットのサービスです。なぜか携帯電話だとインターネットという感じがしないので、パソコンで使うネットサービスと違うような気がします。

「携帯電話のデータサービスってもう空気のような存在なのだなあ」と思った夏休みでもありました。逆に、ネットサービスが存在することを前提にして生活している自分たちがいることにも気が付きました。

ちなみに、私の子供はまだ小学校1年生です。パソコンを扱うことはできないし、携帯電話も使えません(電話をかけるのと写真を撮ることはできるけど)。日常生活にインターネットが入り込んでいる現実を考えると、子供にもなるべく早く携帯電話とかパソコンを使わせた方がいいのかなと思いました。

もちろん、リスクがあるのは承知しています。インターネットや携帯電話を子供に使わせるかどうかで議論がなされていることも知っています。大事なのは新しいテクノロジーを子供から遠ざけるのではなく、どのような危険があるかを子供に理解させることなのではないかと思います。それこそが大人の役目ではないでしょうか。そのためには、大人がインターネットや携帯電話を理解しなければなりません。

だんだん話が変な方向に行ってしまいました。とにかく、いいか悪いかは別にして、インターネットや携帯電話は日常生活に浸透している事実を認識し、その上で何をやらなければならないかを考えることが大切なのではないかと感じます。我々は、携帯電話やネットがない生活にはもう戻れないだろうから。

では、今回はここまで。

posted by やすお at 01:13 | Comment(3) | TrackBack(0) | オピニオン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする



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