2009年04月29日

家電のままパソコン化するテレビ

このブログの「ポストPCを狙う意外な伏兵」という記事でテレビ向けのインターネットサービス「テレビ版Yahoo! JAPAN」を紹介した。今回は、ヤフーの中の人がこの件でインタビューを受けているCNETの記事「"ネットとテレビ"融合させた新サービス「テレビ版Yahoo! JAPAN」--開発者に聞く」を紹介しようと思う。

この記事を読むと、いかにテレビというものが完成された家電なのかが分かる。あっさり書いてしまったが、テレビは家電なのである。一方、パソコンは家電とは言えない。テレビは誰もが使える装置であるが、パソコンはユーザーにある程度のスキルを要求する。テレビで番組を楽しむのに、電波について勉強したり、テレビがカラー画像を表示する仕組みを知ったりする必要もない。新しく買ってきたパソコンでWebページを表示しようと思ったら、Windowsでユーザーアカウントを作成したり、Webブラウザの設定をしたり、インターネットへの接続も必要になる。ネットワークからコンピュータの基礎まで、かなり幅広いスキルを要求される。こんなものが仕事や家庭で広く使われているのは不思議である。

話をテレビに戻そう。ヤフーはよく分かっているなと思うのは、人が楽しむコンテンツには2種類あるのを知っていることだ。1つは、能動的に自分のために何かを調べ、役に立つコンテンツ。もう1つは、暇つぶしのコンテンツである。

これまで、テレビはどちらかというと暇つぶしで、パソコンは能動的に自分が必要なコンテンツを探し出すものだった。ヤフーの狙いはテレビが両方のコンテンツを消費できるようにすること。もっと言うと、テレビだけでなく、どこでもヤフーを使えるようにすることだ。これは、以前から出していた「Yahoo! everywhere」構想と一致する。これの第1弾が「テレビ版Yahoo! JAPAN」なのである。

パソコンのデスクトップで動かすようなガジェット(ウィジェットともいう)類は、テレビでも動かせるようになってきている。携帯電話が音声通話だけでなく、インターネット接続やiアプリなどアプリケーションを動かせるような仕組みを実装したことでパソコン化したように、テレビもインターネットに接続でき、ガジェット(ウィジェット)を動かすプラットフォームになることでパソコン化しようとしている。

表示装置としてのテレビはまだまだ進化する。この大型連休(ゴールデンウイークとか黄金週間ともいう)で、テレビを見る時間が増える人もいるだろう。見ながらでいいから、テレビの将来について考えてみると、テレビを2倍楽しめるのではないだろうか。

では、今回はここまで。
よい連休をお過ごしください。

posted by やすお at 03:10 | Comment(1) | TrackBack(0) | IT業界動向 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2009年04月25日

MySpaceに翻訳機能がついた

いつからあったのか記憶にないのだが、MySpaceのユーザーが持てるブログに翻訳機能がついていた。日本語で書いた文章を英語などに翻訳できるし、外国人が書いたブログを日本語に翻訳することもできる。

翻訳エンジンはGoogleのものを使っている。さすが全世界の知識を整理しようとするGoogleである。MySpaceのブログもGoogleが整理する対象として無視できなくなっているのだろうか。

翻訳精度はGoogleの翻訳エンジンの機能による。試してみたが、あまりよくない。数年前からGoogleは翻訳機能を提供していたが、まだまだという印象は変わらない。さらに、長い文章だと翻訳が終わらない。私のブログはそんなに短くないので、翻訳リンクをクリックしても翻訳完了の画面は出てこなかった。

それにしても、自分が書いた文章を英語に訳せるのは面白い。まったく他人の文章のようにみえてしまう。コメントも翻訳するので、フレンドの書き込みがいつもと比べて格段に格好よく見える。

もちろん、海外のフレンドが書いたブログも日本語に翻訳できる。好きなアーティストが書いたブログを、精度はそこそこだけれども日本語で読めるのはうれしいことだ。

グローバルコミュニケーションにおいて、壁となるのは言葉である。交流サイトのSNSで翻訳機能が付くのは、SNSの利用目的に合致していて歓迎すべきことだ。本当にいつごろリリースされたのか分からないが、将来を期待できる機能がこっそりと追加されていた。このような自動翻訳で実用に耐えるようになるまで、どれくらいかかるのか気になる。できるだけ早くクオリティが上がるのか楽しみだ。

では、今回はここまでです。
よい週末を!

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2009年04月24日

mixi、次世代へ

日本のSNS大手のmixi(ミクシィ)が、次世代SNSへと動きだした。mixiで動くソーシャルアプリケーション「mixiアプリ」を普及させるために、コミュニケーションファクトリーに出資し、mixiアプリの開発を推進する。また、mixiアプリを広く募集するキャンペーン「ソーシャルアプリケーション アワード」を開催する。

SNSで動くアプリケーションって何?と思う人も多いだろう。これは、ブログで例えると、ブログに組み込むブログパーツみたいなものと思えばいい。ブログパーツはブログ本体以外に天気予報など追加で情報発信するのに使われる。一方、SNSでのアプリケーションはSNS内でつながっているフレンドとのコミュニケーション機能を強化するものになる。mixiだったらマイミクシィ(マイミク)にバーチャルギフトを送ったり、お薦めの動画を紹介したりできるようになる。

実は、SNSで動かすアプリケーションは新しいものではない。米国のSNS大手であるFacebookやMySpaceにはすでに実装されている機能である。海外にはFacebookやMySpaceのアプリを提供するのがメインの企業もある。以前にも紹介したが、SuperPokeなどを提供する米Slide社や、SuperWallを提供する米RockYou!社などが代表的なところだ。なので、mixiの取り組みは新しいものではなく、すでに先行しているSNSにようやく追いつこうとしているところである。ついでに言うと、MySpaceは日本版サービスを提供しており、そこでもアプリケーションを利用できる。日本国内に限ってもmixiが最初というわけではない。

では、mixiの狙いは何だろうか。これは、CNETの記事『「mixiアプリ開放は過去最大の変革」--ミクシィ笠原氏、自社イベントで講演』で紹介されている。つまり、mixiのサービス拡充である。mixiでは日記をキラーコンテンツにして、これまで会員を増やしてきた。日本人は日記が好きなのだろうか、この機能が広く受け入れられて会員数を伸ばし、ページビュー(PV)を増やし、売り上げを伸ばしてきた。そして、今では日記だけでは次の成長路線に乗れないこともはっきりした。次の成長シナリオを描くために、mixiアプリを提供するようになった。と、こんな感じである。

また、mixiだけではさまざまな会員を満足させる機能を実装できなくなってきたので、サードパーティの力を借りるという意味がある。冒頭で紹介したコミュニケーションファクトリーへの出資だったり、「ソーシャルアプリケーション アワード」の開催だったり、積極的に外部のリソースを活用しようとしている。

そして、米RockYou!社はソフトバンクなどとの合弁企業であるロックユーアジアを設立している。ロックユーアジアは米RockYou!社の各種SNS向けアプリケーションのmixi版を提供する。仮想ペットの飼育ゲーム「Super Pets」と軽い挨拶ができる「ハグ☆ミィ」、自分のリアルな感情表現をするコミュニケーションツール「マィ☆モード」のベータ版を提供開始した。

mixiがmixiアプリを推進するのと同時に、実際にmixiアプリを開発してくれる企業があることは、mixiにとっては追い風である。だが、mixiがFacebookのようにアプリケーションで成功するかどうかは、実際にリリースしないと分からない。日本のMySpaceを見ていると、あまりアプリケーションを使う人がいないので、mixiももしかすると成功しない可能性だってある。このあたり、日本企業をうまく巻き込むことで、日本独自のアプリケーションが登場する可能性がある。期待しよう。

mixiについてはもっと書きたいこともあるのだけれど、長くなるので、今回はここまで。ここで書ききれなかった部分が別の日に改めて記事にしたいと思う。

以下、参考記事を挙げておく。

◎関連記事


posted by やすお at 03:00 | Comment(0) | TrackBack(1) | SNS一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2009年04月23日

クラウドソーシングで大量のCM映像を制作してしまった面白いキャンペーン

まずはYouTubeに投稿されたこの動画を見てほしい。21秒ほどの短い動画だ。耳に残る曲に合わせて女性がダンスをしている動画である。



この動画は、ロッテのガム「Fit's」(フィッツ)のキャンペーン「Fit's DANCE CONTEST」に応募されたものである。コンテストでは、CMソングに合わせて踊っている動画をYouTubeに投稿し、再生回数が多い動画を投稿した人は賞金などをもらえるというものだ。YouTubeと共同でしかけた宣伝である(YouTubeでの特別サイト)。このキャンペーンは成功しているようで、2009年4月22日現在、1200の動画が投稿されている。冒頭で挙げた動画はこの中の1つである。

マーケティング施策として、テレビ向けのコマーシャル映像を制作することは普通のことだし、口コミ効果を狙って、動画投稿サイトのようなソーシャルメディアを活用することも増えてきている。ただし、ソーシャルメディアを活用といっても、これまではテレビCMをYouTubeのような動画投稿サイトで流したり、ブログパーツを用意してブログに貼ってもらったりすることが多く、どちらかというと、企業が用意したコンテンツを一般の人によって、徐々に世間に浸透させていく戦略をとることが多いと思う。

今回のロッテのキャンペーンは、ブログオーナー向けにブログパーツを用意しているし、YouTubeでCMを見られるようにしているのは当然のこと、それに加えて、あたかも一般の人にCMを制作してもらうかのような仕組み(キャンペーン)を提供した。CMソングを素材として用意し、それを使ってダンスを踊る映像をコンテストとして募集したのだ。結果、集まったのが1200もの動画というわけだ。1つのCMソングで1200もの映像を制作するのは1つの企業だけでは不可能だ。このように一般人の力を借りたマーケティングというのもおもしろい。

一般人の力を借りて何かを実現することをクラウドソーシングという。ロッテから見れば、1社が提供できるCMの限界を超えたバリエーションのCM映像をキャンペーンによって獲得できたともいえる。そして、投稿された映像はバイラル効果によってさらに世間に認知されるようになる。ソーシャルメディアによるバイラルマーケティングとクラウドソーシングによるこれまでの限界を超える量のCM制作という、かなり高度なこと2つを成し遂げている。

さて、この動画をどこで知ったかというと、音楽を中心としたSNSであるマイスペースのフレンドからのメッセージからだった。私はこのCMをテレビで見たことがない。普段はあまりテレビを見ないということもあるのだが、そんな私にも、YouTube経由だけれども、Fit'sという商品を知ることができた。SNSというソーシャルメディアがなければ、私はFit'sというガムの存在を知ることはなかっただろう。そして、フレンドからのメッセージがなければ、こうしてブログを書くこともなかった。そういう意味では、私もロッテのマーケティング戦略にはまった一人である。楽しめたからいいんだけどね。

ちなみに、私はこのCMソングを歌っている" たむらぱん"というアーティストを応援している。マイスペースから誕生したアーティストだ。これからもっと大きくなるアーティストなので、チェックしてみてはいかがだろうか。

では、今回はここまで。

posted by やすお at 00:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | マーケティング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2009年04月22日

静かな会話、言葉を使わない会話

まず、エレベータでの出来事を紹介しよう。エレベータに乗りこんだ二人組がいた。その二人はおしゃべりを楽しんでいた。正確には楽しんでいるように見えた。もちろん、エレベータの中では話をしないのがマナーである。新入社員研修でビジネスマナーの基本として習った人もいるだろう。この二人組は声を出さずにおしゃべりをしていた。手話で自分の伝えたいことを表現し、相手の言いたいことを目で理解しようとする。そんな光景に出合った。

そういえば、過去にも似たような経験があって、込み合った電車の中で、男性二人が話をしているのを見かけたことがある。電車の中も大声で話をしていけない場所とされている。こちらも手話でコミュニケーションしていた。車内のアナウンスが大音量で響いている中では、声は聞きづらい。でも手話なら騒音の中で声が消えてしまうことがない。手話を便利だなと思った瞬間でもある。

手話で会話している人を見て気がついたことがある。この二つのケースで話をしている人たちは目を輝かせながら会話をしているのだ。私は手話について詳しいわけではないが、声よりは伝えられる情報量は少ないと想像する。表現したいことを表現しきれないこともあるだろう。誤解だって生じているかもしれない。でも、会話をしている間、当人の目は輝いているのだ。これは、人類がいかにコミュニケーションを必要としているかの証拠になるかもしれない。逆にいうと、コミュニケーションをする必要があるから、手話が生まれたのかもしれない。

ネットの世界でも、最近はソーシャルメディア全盛期であり、個人間のコミュニケーションがとりやすい状況ができている。ここでいうコミュニケーションの舞台はワールドワイドになる可能性がある。SNSだとMySpaceであったり、Facebookになったりする。日本独自のmixiやGREE、モバゲータウンなどがあるが、それらは少しおいておこう。日本の特殊事情を長々と説明するわけにはいかないので。

ただし、ワールドワイドのソーシャルメディアの日本人が参加する場合は、言葉の壁が立ちはだかる。もちろん、そんな壁をたやすく超えてしまう人はいるが、多くの人は壁として大きくそびえたつことになる。

ちょっと強引にFacebookやMySpaceの話にもっていく。これらのSNSでは、アプリケーションを使うことができる。私が言葉を使わないコミュニケーションだなあと感じるアプリケーションもある。いわゆるギフト系と呼ぶアプリケーションはほとんど言葉を使わないコミュニケーションとなる。たとえば、米Slide社のSuperPoke。FacebookやMySpaceで使えるアプリケーションであるが、小さな画像やアニメーションをフレンドに送信したり、返信されたりしながらコミュニケーションできるものである。

Facebookでは古くからあるアプリケーションで、相手を選んで「high five」とか「hug」、「kiss」といった動作を示す動画像を送りあうことができる。それだけだ。だが、送りあう行為がまるで会話のようである。送る動画像も相手のことを考えて決める。「これを送ったら笑ってくれるかな」「元気出るかな」などを考えながら送信するものを決める。誕生日やバレンタインデーなどは専用の画像があるので、それを送る。言葉を選びながら話すのに似ているというイメージは理解できるだろうか。

で、SuperPokeといったギフト系アプリケーションでは、基本的に言葉を使わない。メッセージを添えることはできるが、ほとんどの人は使っていない。送るものに自分の気持ちを込めるので、ほとんどのケースで必要ないのだ。また、動画像は言葉の壁を越えて物事を伝えることができる。ハートマークを送られたら、なんとなくうれしい気持ちになるだろうし、いたずらをしようとして落とし穴を送って、笑ってもらおうとすることもできる。

始めの話に戻るが、これは手話と同じく、言葉を使わない会話なのではないだろうかと思ったわけだ。人類が求めている他者とのコミュニケーションであり、言葉の壁を超え、声以外の会話を実現する。そんな新しいグローバルコミュニケーション(ユビキタスコミュニケーションと言ってもいいかもしれない)が、登場しつつある。コミュニケーション手段はもっとバリエーションが増えるだろう。どんな人とどのような会話ができるのか楽しみである。

最後に、FacebookのPokeとSuperPokeについて説明した動画を貼っておく。


本気にしないように。こんな怖いことはないから(笑)。
では、今回はここまで。

posted by やすお at 02:22 | Comment(1) | TrackBack(0) | SNS一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2009年04月20日

インターネットがインフラとなるメディア再編がありえそうな気がする

先週は思いついたことを特にまとめるわけでもなくつらつらと書いた。振り返ってみると、メディアについて頭に浮かんだことを書いていたようだ。

テレビはまた昇る」では、表示装置としてのテレビはインターネットと融合することで新たな力を持つと指摘した。現在、メディアとしてもっとも力を持っているのはテレビだろう。だからこそ広告が集まってくる。ただし、長期的に見ると落ちているのも事実である。テレビというハードウエアは進化するが、ソフトウエアとしてのテレビ番組は魅力が薄れているのだろう。

コンテンツとしてのテレビはマスに向けたメディアである。昔のテレビのように一家に一台あるのが普通の時代は、間違いなくテレビは"マスメディア"であった。現在のように一人一台にテレビが行き渡った時代になると、はたしてテレビはマスメディアと言えるのだろうか。テレビ番組を提供する方も、大勢の人に見てもらえるのを前提とした番組作りではなく、視聴者の属性を考慮しながら番組を提供しなければならなくなると思う。つまり、これは視聴率競争の終焉を意味する。これからは、番組を観た人がどのような属性の人なのかが分かる仕組みが必要になるだろう。

このような視聴者の属性を取得するのは、インターネットの世界であればすでに実施していることである。ユーザー属性に合わせて表示する広告を変えるなどさまざまな試みがなされている。

ハードウエアとしてのテレビもインターネットに接続できる機能は持っている。地上波デジタルやBSデジタルなどは、リモコンでアンケートに回答できるなど、双方向のコミュニケーションが可能になっている。これだけでは不十分だとは思うが、インターネットのように、テレビでも視聴者属性を取得する下地ができてくるのではないだろうか。ハードウエアとソフトウエア(コンテンツ)を合わせたテレビという仕組みはまだまだ進化する余地を残している。

■インターネットが主役となる放送とネットの融合

ずいぶん前から、放送とネットの融合という言葉がある。これまでは、テレビ番組をインターネットに流すことが話題の中心であったが、テレビというハードウエアを軸にした放送とネットの融合もありえると思う。ライブドアのフジテレビ買収や楽天によるTBSの買収は結局うまくいかなかった。テレビという古い産業をネットの土俵に上げるのは難しいのだろう。一方、ネットがテレビの土俵に上がるのは比較的容易なのではないだろうか。もし、時価総額の問題などがなければ、フジテレビがライブドアを、TBSが楽天を買収なんてことが実現したのかもしれない。それが実現していたらどうだろうか。おそらく、ホリエモンや三木谷氏が持っていたビジョンを少しは実現できたのではないだろうか。まあ、当時はテレビや新聞がインターネット企業を買収するといった話は出てくるような機運ではなかったので、今どうこういっても始まらないのだけど。

そして、「ネットの利用時間がテレビを超える日」が現実的になってきた。誰が希望しようと、誰が望んでいなくても、これからのメディアはインターネットがインフラとなる。インターネットの上に、テレビやラジオ、新聞、雑誌などのメディアが乗る格好となる。「テレビ対インターネット」という図式は意味がなくなる。

テレビやパソコン、携帯電話は、コンテンツを消費するハードウエアとしての位置づけが強くなる。これまで、テレビとラジオは電波を、新聞と雑誌は紙を使って情報を発信するものとしていた。これがインターネットをインフラとすることで、テレビ局や新聞社といったメディア企業は、物理的なメディアを問わないで情報を発信することになる。電波には電波の利点、紙なら紙の利点というものがあったが、それらの利点はすべてインターネットが吸収していくことになる。

電波の即時性や動画・音声を流せるといった利点は、インターネットではすでに実現できていることだ。紙の持ち運びや保存が用意という利点は、Webページとブックマーク機能で代替できる。しかも紙は長期保存には向かないが、Webページはサーバーの管理さえしていればほぼ永久に保存することができる。

放送とネットの融合なんて考え方は古いのかもしれない。これからは、統一メディアとしてのインターネットを考えた方がいいのかなと思う。時期は予想できないが、テレビや新聞といった形態はなくなるだろう。これらは、すべてインターネットで配信される動画やニュース記事という扱いになるに違いない。現在は、テレビ局や新聞社、出版社は、まだ独立した会社として存在する。数年後には、メディア企業として、動画事業部やWeb出版事業部といった、一つの会社の一部門になるくらいメディア企業の再編がなされるかもしれない。

一つの会社にならなくても、テレビとラジオ、新聞、出版の各社がグループとなり、欧米のようにメディアコングロマリットを形成するようになるかもしれない。もちろん、日本の各種法律を整備する必要があるのだろうが、メディアの役割を考えた場合、テレビと新聞を区別する必要はないと思う。特に、インターネットをインフラとした世界においては、意味がない区分けである。

posted by やすお at 23:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | オピニオン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2009年04月18日

有名人が個人としてブログを書くときは本音を素直に出してほしい

一応、前回の記事「サイバーエージェントは著名人を自分のリソースだと思っているのだろうか」の続きである。前回は有名人を広告メディアとして利用することの難しさについて書いた。今回は、有名人が個人としてブログを書くことの難しさについて考えてみようと思う。

想像してみよう。有名人が個人的にブログを書く理由には、どのようなものがあるだろうか。1つ目は、個人的に日記を書くことが元々好きな場合。これは一般人がブログを書く理由と同じだ。とにかく書くことが好きだからブログを書いているパターンである。

2つ目は、自分の宣伝。芸能人であれば自分を売り込まないと仕事は来ない。自分をアピールする場所としてブログを活用するパターンである。いわゆるオフィシャルブログがここに分類される。自分が出演する番組や、新発売するCDの告知などをしていることが多い。ブログが登場する前は、事務所が用意したWebサイト(ホームページ)がその役割を果たしていたのだろうが、ブログの方が写真や記事の更新が簡単で、芸能人自身が更新もできるので、ブログの方が活用されている。

3つ目を挙げようと思ったが、出てこない。まあ、いい。おそらく2つくらいしかないのだろう。私は有名人ではないので、実際には別のブログを書く理由があるのかもしれない。

で、ここで私が言いたいのは、個人のアピールの場所としてのブログは、読者(ファン)との信頼を築くいいツールになるということ。ファンであれば、テレビやラジオ、雑誌で活躍している本当の仕事の仕事以外に、プライベートではどのようなことをしているのかなと気になるだろう。芸能人のゴシップ記事がたくさん載っている雑誌がたくさんあることからも分かるように、好きな人のことは何でも知りたくなるのがファン心理である。

ゴシップ記事は有名人とファンをつなげるツールにはならないが、本人が直接ファンに語りかけられるブログは、関係を築くのに効果的である。そんなファンを裏切らないためにも、嘘は書かないでほしいのだ。前回のブログのように、有名人がブログ運営者の金儲けのために利用されるのは耐えられないのだ。

なので、「あの人があの洋服をほめていた。でもそれはスポンサー企業に言わされているんじゃないのかな」とファンに思わせてしまってはいけない。この状態になってしまうと、有名人とファンの信頼関係がくずれてしまう。有名人にとってファンが離れてしまうことはもっとも恐れなければならない事態のはずだ。CM出演料のように執筆料を受け取って商品広告をするブログを書いても、ファンを減らしてしまっては、本来の自分の仕事に響く。それは本末転倒だろう。

ブログは情報発信のツールであるとともに、コミュニケーションツールであるともいえる。ブログは、書かれた記事に対してコメントを入れられるし、トラックバックでブログを通じてリンクを張ることもできる。ブログはコミュニケーションをするためにあることを忘れてしまってはお互いが不幸になる。ファン(読者)が有名人ブログに求めるのは、本人とのリレーションであり、有名人が紹介する商品やサービスとのリレーションではないのである。

ということで、前回の記事で言いたかったことにつながる。有名人が書いているブログを、ブログ運営者の金儲けの道具にしてしまっては、ファンとのリレーションを壊してしまう危険がある。マーケティング効果が大きいのは理解できるが、長い目で見ると、誰も得をしない可能性がある。ブログで書く記事は本人に関するものだけにしてほしいのだ。それがファンとの関係を長期に築ける道だと思う。

前回といい、今回といい、うまく書けていない気がする。まとまってなくて申し訳ないが、ブログとは何かを考えたときに、自分以外の何かが絡んだ記事は、大小あるけれど嘘が混じる。面白くなくなるのだ。「ブログってなんだろう」で書いたように、ブログは素直なコミュニケーションツールであってほしいのだ。ブログを使ったマーケティングはブログ本体の記事ではないところで実施する方がいいと思う。

posted by やすお at 04:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | オピニオン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2009年04月17日

サイバーエージェントは著名人を自分のリソースだと思っているのだろうか

サイバーエージェントは、2009年4月16日に著名人をつかったマーケティング事業を行うTMN(サイバーエージェントの100%子会社)を設立した。サイバーエージェントが運営しているブログサービス「Ameba」では、たくさんの芸能人がブログを書いている。ギネス記録を樹立した上地雄輔オフィシャルブログ「神児遊助」もAmebaで運営されている。このような著名人のブログはアクセスが多いので、メディアとしての価値が高い。著名人のブログに広告を載せれば広告効果は高くなるだろうし、口コミ効果も抜群だ。

という効果を期待して、TMNはAmebaの著名人ブロガーが商品・サービスを体験した感想をブログに書く「記事マッチ」という広告商品を広告主や広告代理店に販売する。つまり、著名人が書くブログの記事を広告にしてしまうのだ。これは想像でしかないが、「新発売のビールを飲んだら超オイシー!」というような記事を書かせて、意図的な口コミを発生させるのだと思う。

このビジネスモデルの問題は、広告が広告と分からないことである。あたかも著名人が自分の言葉で語ったことであるかのように読んだ人は勘違いしてしまう。しかし、実際は広告主などから頼まれて特定の商品を宣伝しただけだ。ブログ記事に「これは記事マッチの依頼で書いたものです」といった断り書きがあれば別だが、そのような配慮がなければ、読んだ人をだますことになりはしないだろうか。もし、何も配慮をしないで、著名人に記事を書かせた場合、サイバーエージェントの評判は落ちるに違いない。

著名人のブログで特定の商品やサービスを取り上げるのは、テレビやラジオ、新聞・雑誌のCMに芸能人が出演するようなものだ。CMは他の編集コンテンツとは明確に区別される。「記事マッチ」の仕組みは、何も配慮がないと、たとえば、テレビ番組の内容がCMだけになってしまったようなものである。

実際には、「これは記事マッチです」といった断り書きが表示されるのだろうが、そうすると今度は大きな口コミ効果を望めなくなる。あくまでも著名人に語らせることに意味があるのだから。

まあ、ブログに書く記事以外にも、著名人メディアと企業が共同で商品開発をすることもあるそうなので、そちらをメインにした方が無難かなと思う。広告と分かってブログ記事を書いた著名人に対しては、ファンが不信感をもったりするなど、あまりよくない状態となる。サイバーエージェント(TMN)は、ブログ記事は誰のものなのか改めて頭に入れておいた方がいいと思う。

◎参考記事


posted by やすお at 01:33 | Comment(0) | TrackBack(1) | マーケティング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2009年04月16日

ネットの利用時間がテレビを超える日

テレビはまた昇る」でテレビでのインターネット利用が増えるのではないかと指摘した。どうやらそう遠くない未来に現実となるかもしれない。ヨーロッパの方では、2010年にネットの利用時間がテレビを超えるという予想がでている(関連記事:テレビとインターネットの立場が入れ替わる日は近い?)。

もしかしたらヨーロッパの特殊事情かもしれない。米国では相変わらずテレビの影響力は大きいので、2010年に逆転するとは思えない。日本だって、テレビ離れが進んでいると言われているとはいえ、何か情報を得るためのメディアとして、大多数の人はテレビを利用していることだろう。ヨーロッパだって、モータースポーツの最高峰であるF1(Formula one)で、テレビ視聴者のためにアジアで開催される決勝レースの時間帯をずらすことだって実際にやっている。スポーツイベントのタイムスケジュールを変更できるくらいテレビというメディアの影響力は大きい。

本当のところはどうなるか分からないが、日本でアナログ放送が停止したくらいのタイミングで、インターネットとテレビの利用時間が逆転するかもしれない。根拠はないが、もしかするとありえるという程度の予想である。

広告・メディア産業のビジネスモデルを大きく再構築する必要が出てくるかもしれない。

posted by やすお at 02:23 | Comment(0) | TrackBack(1) | IT業界動向 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2009年04月15日

ネットでの近所付き合いはありえる?

今回もぐだぐだ書いていこうと思う。今回のテーマは「近所付き合い」だ。近所付き合いとは、自分の家の近くに住んでいる人とのコミュニケーションのこと。都会では隣に住んでいる人の顔を知らないといったことも少なくなく、近所付き合いという概念はなくなったと言われている。しかし、ちょっと郊外に行くとまだまだ近所付き合いはある。特に一戸建ての比率が高い住宅街では、人の往来が見えたりするので、お隣に誰が住んでいるのか知らないというのはありえない。まあ、完全に知っているわけではないが、都会でマンションに住んでいる人よりは、いわゆるご近所さんとの付き合いはある。

さて、近所というからには、近所付き合いというのは、物理的に近くに住んでいる人がいることが前提となる。30キロ離れた人とは近所付き合いはできない。当たり前の話であるが、これをネットの世界に展開すると頭がくにゃくにゃになってくる。

ネットの世界は物理的な距離はない。ということは、ネットの利用者はすべてご近所さんということになる。じゃあ、ネットユーザーすべての人とリアルと同じようなご近所付き合いができるかというと、体感的にそれは無理だと感じるのが実情だろう。

では、ネットでの近所付き合いとはどんなものなのだろうと想像してみる。顔を知っていれば近所付き合いしていると定義していいだろうか。日本ではSNSやTwitterで自分の顔を出さないことが普通である。顔を出している人は少数派である。だったら、ネット上の近所付き合いというのは存在しないということなのだろうか。でも、プロフィール写真が顔じゃないからといっても、ネット上では使われている画像が個人を示すアイコンであるから、実際の顔かどうかは本質的な問題ではないと思う。顔を知らなくても仲良くなれることは多い。これはmixiといったSNSやTwitterを使っている人にとっては実感するところだろう。むしろ、アイコンが個人のキャラクタを表現するという意味では、実際の顔写真よりもプロフィールらしくなる。

やはり、距離という概念がないネットの世界に近所付き合いは存在しないのだろうか。まあ、なくてもいいのだけど、リアルの世界では近くに住んでいるからこそ、お互いが助け合えるケースが多々ある。たとえば、防犯。家の周りに不審者が徘徊している場合など、お互いが注意しあって、余計なトラブルを回避することができる。

子供の遊び相手も近所の人、特に年齢が近い人がいると、子供の成長にもなるし、遊ばせておくのも安心感がある。このあたりが近所付き合いの醍醐味かなと思う。

とまあ、こんな体験をネットでできないかなと思ったわけだ。近所というのをもう少し拡大して、自治体クラスのものにしてもかまわない。だとすると、ネットで何かできるのだろうか。

近所付き合いをソーシャルグラフとして見える化し、効率的な(言葉として適切ではないかもしれない)お付き合いができないだろうかと考えてみた。できそうで、できなさそうだし。できなさそうに見えて、できてしまうかもしれない。まだ頭の中が混とんとしている。

では、今回は中途半端だが、ここまでにしておく。

posted by やすお at 03:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | ソーシャルメディア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2009年04月14日

テレビはまた昇る

テレビ離れが進んでいると言われてずいぶんたつ。若者がテレビを見ない代わりに、インターネットや携帯電話を使って時間を消費しているからだと言われる。確かにその通りかもしれない。メディアとしてのテレビ番組はどんどん輝きを失っているように思えるが、表示機器としてのテレビの役割はこれまで以上に重要になるかもしれない。テレビ番組というコンテンツは衰退するかもしれないが、テレビというハードウエアを使ったコンテンツは多様化し、トータルの接触時間は増える可能性がある。

■表示装置としてのテレビは進化し続けている

表示機器としてのテレビは、最初はテレビ放送を観るためのものだった。それ以外には使えない単機能の電気製品だった。これが、家庭用ビデオ機器が登場することで、リアルタイムに放送されているテレビ番組を表示する代わりに、過去に放送された番組を表示する装置として使うようになった。そして、家庭用ゲーム機の登場により、ゲーム画面を表示する機能も求められるようになった。ビデオやDVDレンタルが一般的になると、さらにリアルタイム放送を表示している時間は削られ、映画などパッケージコンテンツを表示する装置としてリビングに居座ることにもなる。

お仕着せのテレビ放送よりも、自分が観たいものを観たいときに見るというスタイルが定着しているようだ。DVDなどはお金を支払ってレンタルしたり、購入したりするのだから、無料で提供している民間放送は、よほど自局のコンテンツをいいタイミング提供できていないことに気が付かなければならない。コンテンツの質はそれほど問題ないと思う。見たい番組はないという人も多いが、ドラマやバラエティ番組などをDVD化すると、それなりに売れているようなので、コンテンツ自体が好きな人は少なくないのである。

つまり、問題は放送スケジュールにありそうだと分かる。流通の世界でいうところの機会損失をしているのではないだろうかと。テレビで時間を消費したい人はどの時間帯にも存在しているのに、その時間帯に的確な番組を用意できていないだけなのかもしれない。オンデマンドでコンテンツを利用できるようになると、テレビ放送を観るためにテレビの前に座る人は増えるのではないだろうか。

■ネットにつながったテレビはさらにテレビ番組を無力化する

ちょっと話が横にそれてしまった。表示装置としてのテレビについて、さらに時代が現在に近付くと、インターネットにも接続できる機能を実装されることになる。ここまでくるとパソコンやワンセグ機能が付いた携帯電話と変わらなくなる。さらに、テレビをパソコンや携帯電話の代わりに、インターネットサービスを利用する端末として使おうという動きがある。

例えば、「ポストPCを狙う意外な伏兵」では、ヤフーがインターネットサービス「テレビ版Yahoo! JAPAN」(http://dtv.yahoo.co.jp)を発表し、テレビをYahoo!を使う端末に仕立て上げようとしていると指摘した。さらに、「きびしい動画ビジネス−本当に観たいものは何か」で紹介したように、ヤフー動画とGyaOはサービスを統合する。ヤフー動画(ブランド名はGyaO)のコンテンツバリエーションを増やす戦略だ。パートナーとしてGyaOが正しい相手なのか疑問もあるが、コンテンツをそろえるという点では、ユーザーが見たいものに遭遇する可能性は高くなる。

さらに、SNS大手のMySpaceは、テレビ向けのウィジェット「MySpace Widget for TV」を発表し、テレビでSNSを使えるようにする。パソコンや携帯電話は必要ない。とうとう、テレビは映像を表示する装置ではなく、あらゆる情報を表示するハードウエアとなる。

■テレビで消費する新しいコンテンツがテレビを支える

表示装置としてのテレビは、テレビ放送が始まった時から人々がコンテンツに接触する入り口となっている。これはこれからも変わらないだろう。ハードウエアのテレビは表示するコンテンツを変えながら進化してきた。一方、ソフトウエアとしてのテレビ番組はテレビの進化や視聴者のライフスタイルの変化に対応できていたのであろうか。

最終的にはソフトウエアが視聴者に受け入れられるかどうかが、テレビというプラットフォームでの力関係を決める。従来のテレビ番組は人の心をつかめなくなったが、代わりにWebコンテンツが視聴者の心をつかむかもしれない。どちらにしろ、表示装置としてのテレビは沈まない。むしろ、ネット接続環境がさらに整えば、またテレビという太陽は昇ることだろう。

posted by やすお at 03:32 | Comment(1) | TrackBack(0) | IT業界動向 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2009年04月10日

きびしい動画ビジネス−本当に観たいものは何か

前回の記事「ポストPCを狙う意外な伏兵」でヤフーの動きについて触れた。今回もヤフーの動きである。2009年4月7日に、ヤフーとUSENが発表したヤフー動画とGyaOの統合である。ヤフーがUSENの100%子会社であるGyaOの株式の51%を譲り受ける。狙いは動画配信ビジネスの規模拡大である(関連記事「Yahoo!動画とGyaOが今秋統合--ヤフーがGyaO株式の51%取得」)。

■規模が利益を生むとは限らない

このサービス統合はうまくいくのだろうか考えてみた。規模を拡大することで利益が出やすい体制にするのは歓迎できる。ただし、規模が利益に直結しているかというと難しいところだ。GyaOは動画コンテンツホルダーから動画を配信する権利を有料で購入しているので、動画のラインナップを拡充するとコンテンツ使用料が増える。一方で、広告収入が増えなければ利益を圧迫してしまう。

コンテンツ使用料はコンテンツプロバイダごとに契約内容が異なると思うが、1動画あたりの使用料を支払っているのならまだマシで、再生された回数に応じて使用料を支払う契約になっていると、とんでもないことになる可能性がある。つまり、規模を拡大することでユーザーが増えると、動画の再生回数も増える。広告収入は再生回数とリンクしないだろうから、広告収入を増やす戦略は別途必要になってくる。最悪の場合は、広告収入は増えないで、コンテンツホルダーへの支払いだけが増えることも考えられる。そのあたり、ヤフーとGyaOは勝つための策を用意しているのだろうか。

ヤフー動画はペイパービュー型の課金システムを持っている。それを流用すれば多少はマシなのだろうが、有料モデルにするとコンテンツ利用頻度が下がり広告料金に影響を及ぼすかもしれない。無料コンテンツと有料コンテンツのバランスをうまいところにもっていかないと共倒れする可能性もある。

■観たい動画を提供できるのか

GyaOやヤフー動画はユーザーが投稿するタイプの動画配信サービスではない。プロの映像製作者による動画である。今回のサービス統合にあたり、GyaOとヤフー動画の強みはプロのコンテンツであること、つまり質がいいことをウリにするようだ。しかし、これももろ刃の剣。ユーザーが本当に観たい動画を提供できるかどうか疑問である。

YouTubeがなぜ受け入れられているかというと、コンテンツの質ではない。YouTubeに行けば、見たいものを探し出してみることができるという安心感なのだと思う。時にはアイドル名鑑の動画版として、時には動物図鑑の動画版として、時にはスポーツ名鑑の動画版として、YouTubeを使うことができる。動画版の百科事典みたいなものだ。見たいものや見せたいものが、YouTubeに行けば必ずある。人が持つ興味は多様だ。同じ人でも、今日は昆虫に興味を持ったが、その前は野球に興味があった。そんな場合でも、YouTubeはワンストップでお望みの動画を提供できる。

ヤフー・GyaO連合では、そこまで多様なコンテンツを用意できないだろう。もちろん資金があれば可能だが、どれだけかかるのか想像ができない。天文学的なお金がかかることだけは分かる。動画配信ビジネスは、質より量が勝負の分かれ目になるビジネスである。インターネットの中にいる多様な人を満足させなければ勝ち目はないのだ。それが規模を追うということである。

★ ★ ★

日本の動画配信ビジネスで成功していると言えるものとして「ニコニコ動画」がある。動画にユーザーのコメントをかぶせていけるサービスだ。ニコニコ動画の動画を再生すると、あたかも複数人で1つの動画を一緒にみているかのような感覚になる。これは、テレビをみんなでみている状況と同じである。ニコニコ動画も動画自体の質では勝負していない。新しい視聴スタイルを提案したことで、視聴者に受け入れられた。

ヤフー・GyaO連合も、新しい仕組みを提案できなければ共倒れすることだって十分にありえる。正直なところ、「YouTubeだけあればいいよ」とも思うので、コンテンツの質でどれだけ勝負できるのかは見ものである。

★ ★ ★


余談:
最近「Poken」というものをゲットしました。Pokenには自分が利用しているソーシャルメディアの情報を格納しておきます。そして、Poken同士で"ハイタッチ"することで、その情報を交換できます。名刺交換みたいなものですね。今日はPokenでブログを書こうと思ったのですが、まだ機能で分からない部分が多く、今日書くのはあきらめました。いつか書きたいと思います。





posted by やすお at 03:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | IT業界動向 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2009年04月09日

ポストPCを狙う意外な伏兵

Yahoo!の動きを見ていると面白いなと思う。テレビ向けのインターネットサービス「テレビ版Yahoo! JAPAN」(http://dtv.yahoo.co.jp)を発表したからだ。どこでもヤフーを使えるようにするという同社の戦略のもとに整備されたサービスの1つである。ネットの入り口が増えることは歓迎すべきことだと思う。

インターネットサービスの主戦場はパソコンから携帯電話に移りつつあるが、テレビの存在も忘れてはいけない。アナログ放送が停止する2011年7月になると、インターネット接続を標準で使えるテレビがかなりの台数で普及している。Wiiなどの家庭用ゲーム機を合わせると、表示装置としてテレビを使ったインターネット接続環境はかなり整うとみてよい。

もちろん、インターネット利用環境として、ポストPCが携帯電話にならないわけではない。携帯電話とテレビ、そしてPCがネット接続機器として主要な地位にいることで、インターネットへの入り口が多様化し、ネットの利用形態も多様化する。

携帯電話とテレビはお互いの存在を否定するものではない。携帯電話は個人のツールとして、個人が自分のために情報を入手したり、コミュニケーションをとったりするのに使う。一方、テレビはまだまだリビングの主役でいる。個人のツールというよりは、複数で楽しむのに向く。

テレビでのインターネットはこれまでのテレビ視聴スタイルの延長となるだろう。テレビ番組はさまざまなジャンルがあるが、テレビでなければならないのは、大勢で盛り上がりたいスポーツ中継や、映画鑑賞などだろう。ニュースもテレビの方が映像で訴える分、分かりやすい場合もある。なので、テレビでのインターネットでも、スポーツ中継のように大勢で盛り上がれるコンテンツが消費されるのだろう。複数の人間が集まってコラボレーションするアプリケーションの普及もありえる。SNSのテレビ版になるかどうか分からないが、複数の人間が共通の目的で集まるためのツールになる可能性がある。大勢集まって1つの画面を見るスタイルはパソコンでも実現しにくいものだ。テレビならではの優位性だと思う。

テレビを表示装置としたインターネットサービスは、まだアプリケーションがほとんどないに等しいので、これからどうなるか分からない。普及するとすれば、大画面を生かした複数の人が同時に視聴するのを目的としたアプリケーションが登場するかどうかだと思う。Wiiのようなゲームは家族で楽しめるソフトも多いので、テレビのインターネットサービスは、ゲームプレーヤ同士がつながって家族対抗戦ができるといったものになるだろう。現在あるサービスで例えるとそんなイメージになる。

さて、テレビ向けインターネットサービスはうまくいくだろうか。携帯電話向けの情報サービスといえば、iモードを一番に挙げる人は多い。誰でも知っているサービスといってもいいだろう。そして、固定電話向けに「Lモード」というサービスもある。まさに固定電話版iモードなのだが、まったく普及しなかった。Lモードは2010年3月でサービスを終了する。Lモードの失敗は、固定電話の特徴を生かしたサービスを提供できなかったことだと思う。情報を入手するだけなら、携帯電話だけで十分、わざわざLモードを使うことはなかったということだ。

ヤフーの「テレビ版Yahoo! JAPAN」がLモードにならないように、ヤフーにはテレビならではのアプリケーションを提供してほしい。携帯電話の小さい画面では実現できないこと、複数の人が同時に使う装置なら実現でいることを整理して、面白いサービスを提供してもらいたい。

◎参考記事
テレビ版Yahoo! JAPANサービス始動--Yahoo! 検索などテレビ向けに

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2009年04月08日

小学生になったキミへ

私事ですが、息子が小学1年生になりました。2009年4月6日(月)に、入学式があり、父親として参列しました。そんな息子に対して、これからの人生をすごすにあたり、人生の先輩として手紙を送ろうと思います。送らぬ手紙ですが、いつかどこかで当人に読んでもらえるかもしれません。ブログでこんなことを書いていいのか分かりません。ほとんど私信なので、つまらないと感じましたら元のページに戻った方がいいかもしれません。では、始めます。


小学生になったキミへ

小学校入学おめでとう。先月までは幼稚園で楽しく遊ぶことがキミの仕事だったけれど、これからは勉強というものをやらなくてはいけない。今までの自由な環境と比べると、机にしがみついて授業を受けることなど、最初は戸惑うことがあるだろう。でも、学校の授業は、これから一人前になるために大切なことを学ぶために必要なことなんだ。しっかりと先生の言葉を聞き、そして友達の言葉を聞き、立派な人になってほしい。

立派な人とはどういう人か、紹介しておく。

  • 人の話を聞ける人
  • 人に自分の思いを話せる人
  • 人と仲良くできる人
  • 常に前向きでいられる人
  • 倫理に反することをしない人

順番は適当だけど、どれも大切なことばかり。難しいものもあるけれど、できるだけ努力してほしい。

「人の話を聞ける人」というのは、先生や親、友達の話など、他人が何を思っているのか素直に聞ける人のこと。幼稚園も共同生活の場だったけれど、小学生からはもっと共同生活の意味が大きくなる。もちろん、大人になればなるほど他人と共同で何かをすることが増える。他人と協力するためには、他人が何を考えているのか知らなければならない。そのためには、話を聞いて、他人が言いたいことを想像することが大切になる。その力をつけてほしい。

「人に自分の思いを話せる人」というのは、自分の意見をきっちりと言える人のこと。さっきと逆だけど、自分が何を考えているかを話せないでいると、自分を理解しようと思っている人に自分を分かってもらえなくなる。自分が後悔することになるよ。自己主張ばかりではだめだけど、適度に自分の意見を言うのは大切なんだ。

「人と仲良くできる人」というのは、お互いが助け合える人のことと思っていい。人生というのは一人では生きていけないことに、いつかは気がつくだろう。自分を助けてくれる友人が多ければ多いほど、人生は豊かになるし、仕事などで得をする場面が出てくる。そのために、他人の言葉を聞き、自分のことも話す。そうすればお互いが理解しあえる。何か困難があっても、友人と力を合わせれば、きっと困難を超えられるだろう。

「常に前向きでいられる人」とは、くよくよしないで、いつも明るくいられる人のこと。キミは、これからの人生でたくさんの挫折を経験するだろう。でもくじけないでほしい。挫折を経験し、それを乗り越えた人ほど、強い人間になっている。そもそも挫折なんてそこらへんにたくさん転がっているものだ。「挫折した瞬間」が来たときは、「この挫折は、もっと強くなるために必要なことなんだ」と考えて、何事も前向きに立ち向かってほしい。ポジティブシンキングをしていれば、いつか自分に運が向いてくる。いろんな困難に立ち向かうためには、常に前向きでいなければならない。そうしないと、自分の本当の力を出すことができないからね。

「倫理に反することをしない人」とは、ちょっと難しいけど、悪いことをしない人のこと。これが一番難しい。約束をきちんと守る人も入る。悪いことをすると、自分が楽をしたり、うれしくなったりすることがある。でも、それは一時的なもので長くは続かない。そして、悪いことをしていることが分かったら、その後は、信用されない人間になってしまう。友達だった人もキミから離れていくだろう。友達になるのは時間がかかるけれど、自分の信用を失うのにかかる時間は一瞬だ。信用を取り戻すのに必要な時間は永遠である。

人に迷惑をかけるなと言っているのではない。そもそも、人は生きていく上で誰かの力が必要になる。大小あるが、人は他人に迷惑をかけて生きるものだ。だから、迷惑をかけても自分を信用してもらえる人を多く作りなさいということ。そのためには、人が自分に迷惑をかけても、「お互いさま」と許せる心を持つことが大切だ。

 ★ ★ ★

成績は良くなくたっていい。お父さんも勉強ができる方ではなかったけれど、一人前の大人になっていると思う。だから心配しなくていい。勉強よりも大切なことなんて、世の中にはたくさんあるのだから。

そして、お父さんもまだ立派な人になるために努力をしている人の1人だ。大人になってもこの努力を怠ってはならない。お父さんはキミを立派に育てるためにがんばっている。そのために、この手紙を書いた。立派な人になるために必要なことを書いたけれど、これが完全なわけではない。今の時点で今のお父さんが伝えたいことを書いたまでだ。お父さんもまだまだ努力をしているので、数年後には別の大切なことに気がつくかもしれない。その時は、また、キミあてに手紙を書こう。


2009年4月8日 自宅にて
タグ:人生 手紙


posted by やすお at 03:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | オピニオン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2009年04月04日

GoogleがTwitterを買収?成功するのかな

インターネット検索の巨人であるGoogleはミニブログの巨人であるTwitterを買収しようとしているらしい。Twitterは140文字以内のつぶやきを書き込みながら他者とコミュニケーションするツールである。マイクロブログと読んだり、つぶやくことをマイクロブロギングとよんだりすることもある。

Googleの狙いは何だろうか。ミニブログサービスが欲しいのだろうか。実はこれはない。Googleは過去にミニブログサービスの「Jaiku」を買収している。ミニブログサービスを始めたいのなら、Twitterを買わなくても、すでに自社にJaikuの技術がある。それを使えばいいだけだ。

だが、企業戦略として、ミニブログが重要な市場だと考えた場合、Jaikuを持っていてもTwitterに手を出すのは十分に考えられる。インターネットの世界では、競合サービスの上位数社が利益という果実を得られる。そう考えると、GoogleはJaikuを選ぶのではなく、Twitterを買収してミニブログでの地位を確固たるものにする手も考えられる。GoogleがGoogleビデオというサービスを提供していたにも関わらず、YouTubeを買収したようなものだ。自社より強力で魅力的なサービスは、自分のところに取り込んでしまう。買収した後、買収された会社がどうなるかは問わない。

ミニブログに積極的に出る手もGoogleにはあるだろう。でも、いくつかの記事を読んでいると別の狙いが見えてくる。リアルタイム検索としてTwitterを使おうと言うのだ。

Twitterは今この瞬間に発生したことをどんどんつぶやいていくサービスである。だが、リアルタイムに世の中を監視しているツールともいえる。つまり、何か事件が発生したときに、いち早く人に伝えることができる。TwitterとGoogleの組み合わせであれば、この瞬間に起きていることを整理して、瞬時に知りたい人に知りたい情報を提供できる。

例えば、花粉の飛散情報。「目がかゆい」とか「鼻水がとまらない」といった書き込みが、地理的にどのあたりにいる人が書き込んでいるかで、分布図を作成できる。地震の被害状況などもTwitterユーザーを一種のセンサーネットワークと考えて、付加価値がある情報を提供できるようになる。

なんだかおもしいことになりそうである。ちなみに、SNS大手のFacebookも2008年にTwitter買収をもくろんだことがある。でも、失敗した。Twitterは自身を安売りしない。そのプライドを満足させる資金をGoogleは用意できるのだろうか。または、プライドを満足させるだけのビジネスプランを用意できるのだろうか。

どれくらいで決着するか分からないが、買収が実現したら、どちらかというとアングラなサービスであるミニブログサービスも一気に普及するかもしれない。少なくとも、今のブログよりも使われるようになるくらいのポテンシャルはある。楽しみだ。

posted by やすお at 04:28 | Comment(2) | TrackBack(0) | Twitterなどミニブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2009年04月02日

別れってなんだろう

前に書いた「ブログってなんだろう」に続く、なんだろうシリーズ(勝手にシリーズ化)の第2弾です。今回は、前回のエントリ「出会い > 別れ」の続きでもあります。何やらこのブログが終わりに向かっているような記事が連続していますが、実際はそうではありません。ご心配なく。

実は、このところ古い友人や古い上司、先輩と会う機会が続けてあり、その再会がものすごく印象に残りました。「あの時、この人たちと出会っていたから、自分はいろんなことに頑張れる」と感じたときでした。出会い、別れ、再会・・・、その流れの中で、自分が教えられたこと、無意識に自分が教えてきたことなど、ごっちゃになって、頭の中が混乱しながらも、再会したいと思える人と出会えたことが自分の幸運なのだなと確信しました。

もっとも印象に残ったのは、前に勤務していた会社の上司に会ったときでした。私がその元上司と会うのは15年ぶりになります。私はその会社を辞めて、別の会社に転職しています。元上司とは、社内で会うこともなく、年賀状のやりとりくらいしかしていませんでした。で、当時同僚だった友人と連絡を取ったときに、その元上司がそろそろ定年退職する年齢(実際には違ったけど)だぞということで、当時の仲間を集めて飲み会をすることになりました。

15年ぶり。私は会社を飛び出していたわけで、その間の元上司の姿や仕事内容などは知りません。同僚も人事異動で違うオフィスにいるので、元上司とはほとんど会う機会がなかったということでした。ドキドキしながら居酒屋で待っていると、元上司が入ってこられました。驚くことに、元上司は当時同じ部署にいた先輩も連れてきてくださいました。

そして一言、「おー、久しぶり!」という声が発せられたとたん、私たちの周りは15年前にタイムスリップ。その場にはOver 40の人だけですが、少なくとも私や友人たちは当時の20代だったころに戻りました。同窓会とかってこんな感じなのでしょうね。

とまあ、ここまでが今回のブログの前置きです。いつも長いのですが、だらだらと書いていたら単なる日記になってしまうので、ここまでにします。

はい。今回は、17年前に出会った同僚と当時の上司、そして2年間お世話になり15年前に別れることになりました。そして15年の時を経て再会しました。その流れの中で、一番印象に残っているのは、この前の再会です。再会というからには、出会いがなければなりませんし、別れもなければ成り立ちません。

再会して思ったのですが、元上司との別れというのは何だったのでしょうか。そもそも"別れ"というのは存在していたのだろうかと考えてしまいました。15年というと長い時間ですが、15年前に別れたのではなくて、たまたま15年間ご無沙汰していただけと言えるのかなと思いました。

別れというと、縁が切れるみたいなイメージですが、実際はそうではなくて、単に会っていなかっただけなのかなと。別れとは、縁が切れた状態ではなくて、強固なつながりがない状態、ただ単に疎遠になっている状態なのかなと思いました。だから、再会したときは改めて関係を築くのではなく、強固なつながりに戻るだけなので、一気に当時の状態に戻れるのかなと思ったわけです。

別れても、薄くはなるけれども、人と人とのつながりはなくならない。別れている状態なんて、言葉では表現できるけど、実際には、完全に別れた状態、つまり出会う前の状態には戻ることはできないのではないだろうか。そんな思いが、前回の「出会い > 別れ」を書くきっかけになったわけです。

年齢がばれてしまいますが、来生たかおさんの歌で「夢の途中」という曲があります。薬師丸ひろこさんが映画「セーラー服と機関銃」の挿入歌として、一部歌詞を変えて歌った歌です。40歳以上の人は、一度は聞いたことがあると思います。当時はヒットしましたから。

その「夢の途中」の歌い出しの歌詞は「サヨナラは別れの言葉じゃなくて、再び会うまでの遠い約束」というものです。サヨナラを言っても別れるというわけじゃない。素敵な出会いをしているから、再会を願ってサヨナラを言うんだという決意みたいなものを感じます。もしかすると、私がこのブログを書いているのも、この曲を当時何回も聞いたからかもしれませんね。

さて、15年ぶりに会った元上司ですが、部下だったころには見せたことがないような笑顔で私たちに接していただけました。その笑顔は忘れられません。飲み会は4時間くらいのものでしたが、15年間分を取り戻したかのような濃密な時間でした。そして、また飲み会をしようという約束をし、サヨナラを言ってみんな家路につきました。もちろん、ここでいうサヨナラは再会の約束という意味ですよ。

タグ:別れ 出会い


posted by やすお at 03:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | オピニオン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2009年04月01日

出会い > 別れ

3月から4月にかけて、日本では分かれと出会いの季節になります。学校だと卒業式に入学式、会社だと人事異動ってところでしょうか。みなさんの中には、強烈な出会いや別れを経験した人がいるかもしれないですね。

私の部署はまるごと他の部署に吸収されることが3月に決まりました。4月1日からは新しい組織体制で仕事をすることになります。とはいえ、自分の席はそのままだし、仕事内容も変わりません。

さて、この季節にふさわしく、出会いと別れについて考えてみました。少し分かったのは、"出会い"はものすごいことだということ。たまたま近所に住んでいる、たまたまクラスメートになった、たまたま同じ音楽が好き、たまたま好きなスポーツが同じ、たまたま恋愛感情を抱いた---。これ以外にもいろいろあるだろうけど、偶然が重なって人と人は出会う。そして、出会うことでいろんな刺激をもらう。そこから自分が変化をし、相手も変化し、お互いの間に新しいものが生まれる。ものすごいことではないでしょうか。それはゼロから何かを生みだす力と同じだと思います。

そして、別れ。"別れ"は出会いがなければできないものです。また、別れても、たまたま近所に住んでいた、たまたまクラスメートだった、たまたま同じ音楽が好きだった、たまたま好きなスポーツが同じだった、一時期は恋人同士だった---。このような事実は残るわけです。経験といってもいいかもしれません。経験は永久に残ります。もし、小学生のころの同級生の顔や一緒に遊んだことを忘れてしまっても、現在の自分になんらかの影響を与えていると思います。今の自分はたくさんの出会いと別れの上に成り立っているのかなと思います。

そういったことで、別れとは出会いの続きなのかなと思いました。時間は川のように流れます。出会った瞬間から別れへの瞬間まで、人生という時間の中をいろんなものが流れます。その中で自分は良い出会いをしてきたのだろうかと考えてしまいます。でも、"出会い"はいいものしかないのだと信じるようにしています。その方が気楽だし、自分にも相手にもプラスの効果があると思うからです。一期一会とはよく言ったものです。

そして、タイトルの「出会い > 別れ」です。"別れ"はインパクトがあります。いつも一緒にいた人がいなくなる。歌だって別れの歌は重く、人の心を打ちます。でも、私は重要なのは別れより出会いなのかなと感じたので、このようなタイトルでブログを書いてみました。

自分で言うのもなんですが、久しぶりにいいことを言っているような気がします。このテーマで1曲できそうですね。

では、今回はここまで。
タグ:別れ 出会い


posted by やすお at 02:53 | Comment(3) | TrackBack(1) | オピニオン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする



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