2009年07月04日

デジタルネイティブが人種差別をなくすかもしれません

マイケル・ジャクソン関連の最終話です(笑)。ようやく長い長い記事を完結させるときが来ました。今回は、自分の経験から、人種の壁を超えられるきっかけになるのではないかと思い、SNSを取り上げます。

このブログでは、SNSなどのソーシャルメディアをよく取り上げています。ですので、今回書くことはもう何度も過去に書いているかもしれません。また同じことを言っているよと思った人には申し訳ないですが、重要なことだから何度も書いているとお考えください。

ちなみに、これまで書いてきた関連記事は下記です。



■もっと世界を見てみよう

私の好きなSNSにFacebookがあります。日本にはmixiというガリバーがありますが、地球規模で見ると、mixiのサービス規模はそれほど大きくありません。やはり欧米のサービスが世界では主流であり、とりわけ、Facebookは世界一巨大なSNSになっているようです。このFacebook、何がすごいのかというと世界中の人と友達になれるんです。SNSだから友達とつながるのなんて、当たり前と思うかもしれません。しかし、mixiとは圧倒的にスケールが異なるのです。

mixiはやはり日本人の日本人による日本人のためのSNSだと思います。mixiにグルーバルな視点はありません。もちろん、mixi会員の方には海外の人もいらっしゃいますが、多くの場合は、海外にいる日本人の利用がほとんどだと思います。

Facebookは日本語を使うことはできますが、会員の人数比率を考えると、英語で書き込みをしている人の割合が大きいです。英語は地球での標準語みたいなものもあるので、世界中の人とコミュニケーションするのに英語が欠かせません。話はそれますが、Facebookでは画面のメニューなどを日本語表示にして使うことができます。書き込みも日本語を使えるので、何がなんでも英語じゃなきゃダメというわけではありません。

そして、このマルチリンガルな環境がよりFacebookをグルーバルなものにします。私は、日本人には日本語でメッセージを、海外の方には英語でメッセージを送っています。海外の方には、英語を母語としない、中国人やインドネシア人、インド人の方々がいらっしゃいます。もちろん、英語を母語とする方々とも英語でやりとりをしています。

ちなみに、私はそれほど英語を使えるわけではありません。それでも、辞書や翻訳ツールを使いながら、フレンドとのコミュニケーションを楽しんでいます。Facebookを始めたのも英語の勉強のつもりでもあったので、楽しみながら英語がちょっとずつ上達するのを感じるのは楽しいです。


■フラットな関係になるデジタルネイティブたち

Facebookでのやりとりをして感じるのは、世界はフラットになったなということ。自分という個人は、各フレンドと対等の立場にいることが分かりました。年齢や性別などは関係ありません。住んでいる国とも関係ありません。

物心がついたときからデジタルツールを使うデジタルネイティブ世代は、自分と自分の周りの人が対等だと言う感覚を元から持っているかもしれません。そういった世代は、他人との差異を理解しつつ、対等であることに何の疑問も持たないと思います。つまり、人種差別とは無関係だということです。そういう人たちだけになれば、人種差別は本当になくなると思います。

そして、デジタルネイティブの影響を、私のようなデジタルイミグラント(デジタル移民)が受けるという構図になります。実際に、Facebookで海外の若い人とコミュニケーションをしていると、時には失礼じゃないかなと思うくらい対等に扱われます。日本人との感覚のズレみたいなものかもしれません。でも、それくらい対等な関係を築けることが、差別などをなくすことにつながっていると思います。

デジタルネイティブはSNSを利用することでグローバルな視点を持ち、人類最大の敵かもしれない人種差別をあっさりと過去のものにしてしまうかもしれせん。もちろん、こう書いてはいますが、単なる夢物語となる可能性だってあるでしょう。それでも、若い人たちを信じ、理想が現実になればいいなと強く思います。

お酒を飲みながらこの記事を書いているせいかもしれませんが、ぐだぐだになってしまいました。すいません。

では、今回はここまで。
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2009年07月03日

マイケル・ジャクソンの続き−スポーツの世界で(2)

前回「マイケル・ジャクソンの続き−スポーツの世界で(1)」の続きです。こんなに長い記事になるとは想定していなかったのですが、デリケートな問題でもあるため、いつもよりは慎重に言葉を選んで書いています。そのため、ズバッと言い切ることができずに、だらだらと長くなっているのかもしれません。

まあ、こんな言い訳じみたことを書かなければ、半分の分量で終わったかもしれませんけれど。実は、今回が最後ではなくて、まだ続きます(笑)。次回はSNSとからめた話題になる予定です。もうしばらくお付き合いください。

さて、私はモータースポーツが好きです。特にF1が大好きです。もう20年近くF1を見てきています。そして、自分の国がヨーロッパの人たちから異質なものとして見られていると感じたことがありました。世界を見ると、自分の世界が見えてきたといった感覚です。日本人を客観的にというか、世界での位置づけみたいなものを感じることがよくありました。


■モータースポーツでも人種差別があったのではないだろうか

私が感じたのは、ホンダの第2期(1983~1992年)の時です。ホンダは最強のターボエンジンで勝ちまくり、1988年にはマクラーレン・ホンダが16戦中15勝というとんでもない記録を出してしまいました。そして、ターボエンジンの禁止。日本のメーカーであるホンダがヨーロッパのスポーツであるF1で勝ち続けるのはよろしくないという力学が働いたのかどうか分からないですが、ターボエンジンは禁止になりました。私が日本人だから被害妄想を持っているだけかもしれないので、真相は分かりませんが。

もし、フェラーリやルノーのターボエンジンが強力だったら、どうなっていたでしょうか。ターボエンジンは禁止になっていたでしょうか。私はターボエンジンの時代が続いていたと思います。

少し話がずれますが、F1がターボエンジンのままだったら、現在のように、資金難で参戦するチームが減ることはなかったと思います。そして、バジェットキャップ制の議論もなかったでしょう。ターボを禁止したことで、エンジン開発のコストが上がったからです。そして、環境問題が大きくなっている現在を考えると、燃費のいいターボエンジン(レーシングエンジンはNAよりターボエンジンの方が燃費はいい)の開発が進み、その技術が市販車にも使われるようになったかもしれません。もしかすると、F1でのターボ技術によって、プリウスの代わりに小型のターボエンジンを搭載した自動車がエコカーとして街を走っていたかもしれません。

ここまでくると妄想ですので、話を元に戻します。


■アイルトン・セナもマイケル・ジャクソンと似ている

ホンダ全盛期のマクラーレン・ホンダでチャンピオンをとった伝説のF1ドライバーであるアイルトン・セナ。彼はブラジル人です。彼もヨーロッパという文化と戦わざるをえなかった1人であったと思います。

ヨーロッパ人でないことがハンデとなってはいましたが、ワールドチャンピオンをとり、世界中の耳目を集めました。しかし、レースをしている姿はどこか哀しいものに見えました。何か別の大きなものと戦っているように見えました。

アイルトン・セナも最後にはレースでの事故で命を落とします。あっけない突然の死。マイケル・ジャクソンと同じです。戦いに疲れ果てた結果に見えなくもありません。

そして、2007年のF1を思い出してみましょう。アイルトン・セナが所属していたマクラーレンに、ルイス・ハミルトンという若者が加入しました。ドライバーとしての素質は飛びぬけています。しかし、彼には大きなハンデがありました。ハミルトンはイギリス人ですが、黒人なのです。

デビューイヤーにワールドチャンピオンを獲得するのではないかという勢いの活躍でしたが、結局2位に終わりました。そして、世界の人々はハミルトンを嫌っているかのような言動がブログなどで見かけられるようになりました。出る杭は打たれると言います。だったらまだいいのですが、もしかするとそうではない感情によって、ハミルトン叩きのようなものになったのかもしれません。

ハミルトンは、2008年のワールドチャンピオンになりました。その結果、尊敬される存在になるのかと思いきや、世の中の空気は「ハミルトンを王者として認めたくない」「2009年はハミルトン以外の人がチャンピオンになってほしい」といった、聞こえない空気があるように感じます。

モータースポーツを愛する人間の一人として、そして日本人という白人以外の人種である人間の一人として、平等にレースが開催され、平等に評価されることを願います。

と、ここまで長く書いてきて、見えないけれどしっかりとした壁がそこにあるわけです。どうにかしなければならないのですが、どうすればいいのでしょうか。どうしようもないのでしょうか。

もしかしたら、時間が解決する問題なのかもしれませんが、その時間を短縮させることができるかもしれない可能性がSNSにあるのではないかと思うようになりました。次回はそのあたりを書きたいと思います。

では、今回はここまで。
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2009年07月01日

マイケル・ジャクソンの続き−スポーツの世界で(1)

前回の記事「マイケル・ジャクソンと人種差別」で、マイケル・ジャクソン個人が向かい合っていたと思われる人種差別について、個人的に思っていたことを書いてみました。今回は、この続きです。前回、書ききれなかったことを紹介します。


■あなたの知らないスポーツの世界での人種差別

オリンピックはスポーツの祭典です。2016年の夏に東京でオリンピックを開催するために招致合戦が始まっています。東京都内ではオリンピック関連の垂れ幕などがかなり目につくようになりました。さて、オリンピックの人気種目に競泳があります。北島康介選手などの活躍が期待されますが、今回のブログは日本人選手にスポットをあてません。

競泳の選手と陸上の選手を思い浮かべてください。選手の特徴がまったく異なることに気が付きます。陸上選手は黒人がほとんどです。黒人選手の持つバネが有利に働くのでしょう。一方、競泳で黒人選手をみかけることはあまりありません。水泳も筋力やバネが記録に有利に働きます。競泳でも陸上競技と同じくらい黒人選手が活躍していてもおかしくないはずです。

なぜ、このようなことが起きるのでしょうか。答えは、黒人はプールに入れなかった時代があったからです。黒人という理由で白人と同じプールには入れなかったのです。そのため、競泳において黒人選手が出てくることはありませんでした。もちろん、今ではこのような差別はないと思います。でも、長い歴史はなかなか習慣や考え方を変えさせません。南アフリカのアパルトヘイト政策が廃止されてからずいぶん経ちますが、人の意識はなかなか変わらないのが現実なのでしょう。

改めて断わっておきますが、私は人種差別を肯定する気持ちはまったくありません。人の意識に植え付けられた偏見が問題だと思っています。

また長くなってきました。モータースポーツの世界での話をしたかったのですが、書いているうちにとてつもなく長くなってきました。この続きは別の記事で紹介しようと思います。話の導入部分だけの中途半端にしておくのはいやですが、読みづらくなるので、ここでお許しください。

しかも、ソーシャルメディアなどいつものテーマと関係ないことをつらつらと書いてしまって申し訳ないです。次回こそ、いつものテーマに関連させて書こうと思います。

では、今回はここまで。
posted by やすお at 01:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | オピニオン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする